雑感 昨今の日本の政権の脆弱さについて

これはあくまで、私の印象や感想に過ぎないのだけれど、ツイッター等を見ていると、政府を支持し擁護する論陣を張る人というのは、本当に少ないと感じる。


もちろん、時の首相というのはその時の最高権力者なわけだから、わざわざ擁護しなくても、もうすでに権力を持っているはず、とも言える。
それに、別にmixiツイッターで反論や批判をしたからといって簡単に政権が倒れるわけではないし、それと同様に、mixiツイッターで擁護や支持の意見があったからといって政権が保たれるわけではない。


ただ、あくまで、社会の雰囲気の一端のサンプルにはなるかもしれないし、また社会の雰囲気や空気をつくるほんの一部にはなっているとは言えるかもしれない。


それで思うのだけれど、最近の日本の政権というのは、案外と簡単に倒れてしまうし、実に脆いのではないかということが、どうも私には感じられてならない。
安倍・福田・麻生の三代を見ても、そのあとの鳩山・菅・野田の三代を見ても、実にマスコミの攻撃の前に脆いというか、それほど権力というものが盤石で強固なものにはどうも思われない。
それぞれに理由は若干異なるし、野田さんはまだ未確定とはいえ、皆短命政権ばかりだった。


私が一番違和感があるのは、なんというか、今もって国民の中には、55年体制の時のような感覚があるのではないかということだ。
政権というものは盤石なもので、悪口雑言や無責任な批判をしていてもちっとも政権は変わらないし、ある意味安心して子どもがだだをこねるように悪態をついても構わないものだという、甘えのような意識が、今も一部には根強いのではないかということだ。


だが、正直なところ、そんなに盤石な権力としての55年体制は、おそらく宮澤政権の崩壊以後はとうの昔に終わっている上に、小泉政権以降はさらに夢のまた夢になっており、昨今の政権というのは、実にヴァルネラブルな、脆弱なものではないかということだ。
支持率の乱高下、特に急激な下降により、今の日本の政府というのは、簡単に倒れてしまうものではないかということである。


参院のねじれ、与党内部での分裂、そして支持率が低いとすぐに求心力が失われる、という三つの要素が、最近の日本の政権を極めて脆弱なものにしてきた。


つまり、政治的統合というものは、なんの努力もせずに、ほっといてもできあがるものではなくなっており、国民がかなり意識的に工夫しないと、そもそも実現しないものになっていると私には思われる。


しかし、こうやってネット空間を見ていても、いや、ネットに限らず、新聞や雑誌を見ていても、安定した政治的統合を築こうという意識がそもそもどれだけの人にあるのか疑問でならない。


たぶん、何かを支持し擁護するより、適当に悪口を言ったり批判している方が、責任は問われないし、かっこいいように思う風潮が今も昔も日本にはあるのだろう。


しかし、それでことが済んだ時代はとうの昔に終わっているのではないだろうか。


安定した政治的統合を築こうという意識もなく、盤石だろうと思って適当に政府を叩きのめしていると、案外と簡単に倒れてしまい短命政権に終わってしまい、また次、また次。
と、こういうのが今の日本の現状ではなかろうか。


国民ひとりひとりが、自分が首相の立場だったらどうするのか、何ができるのか、という想像力を働かせて、実際に政策を具体的に考えてみる構えがないと、もうどうにもならない事態になっているのではないかと、どうも私には思えてならない。
自分が首相の立場になった時に、到底できないし、対案もないようなことは、スーパーマンではない同じ人間であって有限の存在の政治家たちに対しては、あまり求めることができないのではないかと思える。