雑感 一次大戦からおよそ百年経った今は

大江健三郎の『二百年の子供』という小説は、主人公の子どもたちが1864年から2064年の二百年の時の中を時空を超えて旅するという話で、主人公たちの時点から120年前と80年後の世界を垣間見る、という物語なのだけれど、


それを読んでいて、ふと、さ来年に第一次世界大戦から百年を迎える我々は、どんなものだろう、と考えてみた。


ヨーロッパに関して言えば、第一次大戦の後、第二次大戦という再びの愚行と悲惨があったものの、国際連盟、そして国際連合をつくり、さらにはEU統合を築いて、ユーロという共通通貨まで実現したし、何よりも宿敵だったドイツとフランスがかくも良好な関係になったことを考えると、百年前の一次大戦頃と比べて、本当に格段の進歩と思う。
きっと一次大戦の頃の人々が見たら、素晴らしい未来だと思うだろうし、彼らの悲願や願いが本当にある程度は実現してきたのだろうと思う。
これから百年先も、きっと素晴らしいのではないだろうか。


一方、日本はどうだろう。
一次大戦頃の、大正時代と比べて、どうだろう。


アジア全体から言えば、当時の日本とタイぐらいしか本当の独立国がなかった状態から、今はすべて独立した主権国家になったし、その多くが民主化されてきたことを考えれば、実にこの百年の間のアジアの進歩もはかりしれないと思う。
また、かつては農業ばかりだったアジアが、百年前からは信じられないほど工業も発達したと言える。
日本も、そうした観点で言えば、大正時代と比べて、より近隣諸国と安定した関係を築ける可能性が高まったし、選択肢が増えたとも言えるかもしれない。
あまり強迫神経症的に、日本だけでがんばらなくてはいけないと思う必要は、かなり減ったのかもしれない。


ただ、ヨーロッパに比べれば、さまざまな条件が違うこともあるが、あんまりアジアの統合は、まだまだ遠い未来のことのようである。
ASEANはかなり良い土台を築いてきたかもしれないし、TPPも良い方向にいけばASEANと併せて、FTAAPという、アジア太平洋の統合への足がかりになるのかもしれないけれど。
まだまだヨーロッパに比べると、良くも悪くもあまり地域統合は進んでいないと言えるだろう。


また、日本国内に関して言えば、大正の頃に比べて、米騒動の頃の剥き出しの資本主義に比べれば、一応国民がかなり豊かになり、それなりに労働法規や人権も大正時代に比べれば発達してきた部分もあるだろうし、政党政治が二次大戦中の中断時期を挟んでそれなりに実績を積み重ねてきたし、大正の頃に比べれば藩閥や軍部や寄生地主の支配というのは、一応打破されてきたのかもしれない。


そうこう考えると、たぶん、百年で、相当に人類は進歩してきたのだろうし、良い方向に進んできたのだろう。


一次大戦頃に比べれば、アラビアのロレンスたちがアラブの独立のために闘っていた頃に比べて、中東も独立、そして最近の民主化など、考えれないぐらい良くなったのかもしれない。
今でも問題は非常に深刻な部分もあるけれど、一次大戦の頃に比べれば、信じられないほど良いだろう。


アフリカも、エチオピア以外すべて植民地だった状態から次々に独立国家が誕生し、南アではアパルトヘイトがなくなったことも、本当にすごいことだと思う。


そうこう考えると、やっぱり、きっと今の世は、とても良くなっているのだろう。


ただ、百年前の人が夢見たほどは、まだ良くなっていない部分もあるかもしれない。
また、今の世のありかたは、かつての百年前の人々の悲願や夢のおかげ、あるいは犠牲や苦しみのおかげ、ということも、忘れてはならないのだろう。


過去の人々の声や願いを聴きつつ、その気魄なども受けとめて、今また次の百年の間、どれほど未来をきちんと作っていくか。
そういうことが、もうすぐやってくる一次大戦から百年という時の中で、大事なことかもなぁとあらためて思った。