梯実円 「花と詩と念仏」

花と詩と念仏

花と詩と念仏


梯実円和上のことばには、本当に深く考えさせられる。



「生にとらわれて死を拒絶することも、死にあこがれて生を拒絶することも、ともに正しく人生を見ていない。
生死を越えるとは、生と死を真反対のこととして把える思考の枠を破って生と死を等分に見ていけるような視点を確立し、生きることも尊いことだが、死もまた尊い意味を持っているといえるような精神の領域を開いていくことだ。
そのような人にとって、若き時も、老いてからも、健康も病いも、愛するものにも、憎まねばならないような相手に対しても、等分に、尊い意味を確認して合掌しつつすべてを受けこむことができる。」云々。

等分に見ていける視点。
私は程遠いところにいるけれど、いつかそういう視点を持てたらなあと思う。
仏教の真髄とは、そこにあるのだろう。

等分にものごとを見るというのは、きっと三次元の世界にだけ足場を置いていても無理な話で、五次元や浄土に軸を置いて、はじめて開けてくる視野なのかもしれない。

なんでも分別してしか考えられない三次元の世界の外に出た視点を持つことができたときに、人はどんなことにも意味を見出す、等分の視点が持てるのではないかと思う。

そうした、生死解脱・怨親平等の等分のものの見方を見につけていくことが、念仏成仏ということであり、この娑婆での人生は、そのための日々のお育てであり道場ということなのかもしれない。

なかなか、そうしたものの見方が身につかず、いろんな迷いの中を生きているとしても、本当は等分のものの見方を身につけるような方向にこの生が向かっているんだという、そのことは忘れずに、この人生を送っていきたいなと改めて思った。