現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第二十節

現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌)  第二十節




念仏三昧の喜びよ、
(浄土への往生を願います)


ただみ仏の道ひとつだけが清らかな安らぎのある道です、
(はかりしれない喜びよ)


浄土の荘厳は尽きることがありません、
(浄土への往生を願います)


十方のあらゆる方角から浄土に往生してくるものもまた窮まりがありません、
(はかりしれない喜びよ)


はかりしれない長い時間、さらにはかりしれない長い時間、ガンジス河の砂のかずほどはかりしれない長い時間にも、
(浄土への往生を願います)


浄土に往生してきたあらゆるいのちはお互いに妨げることはありません、
(はかりしれない喜びよ)


十方のあらゆる方角の生きとし生けるものは今まで減ったことはありません、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来の浄土もまた今まで増えたことはありません、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の御本願の働きは、その御心のとおり広大なので、
(浄土への往生を願います)


四種の荘厳(如来の御身体と国土の、どのみ仏や国土にも通じる素晴らしさと、阿弥陀如来西方浄土特有の素晴らしさの、四つの素晴らしい荘厳)はあまねくめぐっており、
(はかりしれない喜びよ)


三明・六神通は常に自由自在で、
(浄土への往生を願います)


あまねく生きとし生けるものの浄土を想う心の中に入ります、
(はかりしれない喜びよ)


み仏の御身体の相好が心の中に起り、
(浄土への往生を願います)


念じることによってすぐに純粋な金色のみ仏が現れます、
(はかりしれない喜びよ)


純粋な金色は阿弥陀如来の御姿の特徴です、
(浄土への往生を願います)


阿弥陀如来の頭部から放たれる円光の中の無数の化仏たちが目の前に現われます、
(はかりしれない喜びよ)


阿弥陀如来の相好は八万四千もの数に及びます、
(浄土への往生を願います)


ひとつひとつの光明は十方のあらゆる方角を照らします、
(はかりしれない喜びよ)


ただし、念仏以外の修行をする人をあまねく光が照らすわけではありません、
(浄土への往生を願います)


ただ念仏往生の人を光は探して照らします、
(はかりしれない喜びよ)


あらゆる修行は回向すればどれも往生を得ることができますが、
(浄土への往生を願います)


念仏の一行は最も尊いものです、
(はかりしれない喜びよ)


回向して往生するさまざまな念仏以外の善は、場合によっては力が弱いものです、
(浄土への往生を願います)


一日乃至七日の間の念仏にまさるものはありません、
(はかりしれない喜びよ)


臨終を迎えようとする時には浄土の聖なる方々が現れて、
(浄土への往生を願います)


すぐに蓮の花の台(うてな)に坐ることができ、宝石に満ちた浄土に至ります、
(はかりしれない喜びよ)


清らかな大きな海の、生と死の二つを離れた悟りを得た人々が、
(浄土への往生を願います)


遠くから往生してくる人を見て、皆、歓喜してくださいます、
(はかりしれない喜びよ)