現代語私訳『福翁百余話』第十四章 「名誉について」

現代語私訳『福翁百余話』第十四章 「名誉について」



名誉は人が重視するものであり、財産よりもさらに重要とされる事柄です。
重要であるために、名誉を得るための方法もまた簡単なことではありません。
一般的に、どんなものであっても、求めるが直接的で、しかも急げば急ぐほど、得ることがますます難しくなるのが常です。


たとえば、ビジネスマンが利益を求めることが急で悩み苦しむ時は必ず失敗します。
それとは逆に、ビジネスの成功は、思ってもいないところに存在すると言います。
思ってもいない利益とは、はじめから利益を期待するのではなく、ちょうど利益を度外視して利益を捨てて行った、その事から大きな利益が生じるということです。


人間の世界の物質的な事柄におけるビジネスにおいてもこのようなわけです。
ましてや、精神的な、微妙な事柄である、名誉に関する事柄は言うまでもありません。
直接的に求めてもすぐには得ることができないのはもちろんのこと、名誉を求めることが急であればあるほど、ますます悩み苦しむことになり、そうなれば逆に反対に今まで持っていた名誉までも損なう状態に至ることでしょう。


名誉は、たとえるならば、金箔のようなものです。
木像であれば、塗師屋の職人の金箔によってすぐに光を放つこともできますが、人間の金箔は塗師屋の職人の手には負えないものです。
自分自身が努力すべきことを努力して、家庭生活や社会生活の義務を果たし、しかもそれらの努力を行うことはただ単に自らを尊び自らを重んじる精神から行い人間としての本分を守るだけのことであり、自分自身の名誉がどうであるかということに関しては度外視し捨て去って、あたかも忘れているもののようであること。
そのような状態になって、自分自身を忘れていることこそ、他の人から知られることの原因であり、あちこちからの尊敬や名誉は自然とその人に集まり、その光輝きは単なる金箔よりもかえって優っていることでしょう。
このことを、「求めていないのに得られた名誉」(求めざるの名誉)と言います。


また、世の中では、天から与えられる位つまり徳と、人間から与えられる地位についての議論がうるさく、一方において人間から与えられる地位を崇拝する人がいれば、他方においてはそのことを快く思わず、人間がつくった地位や爵位などは取るに足りないものだと口汚く排斥する人もいないわけではありません。
ですが、そうした排斥の議論も、一概に感心することはできません。
天から与えられた位としての徳であろうと、人間から与えられた地位であろうと、自然にその人に集まる名誉であれば、傍からそれを尊敬して良いものです。


天から与えられた位である徳が尊いとは言っても、その天から与えられた位である徳があるという人が、自分は徳があって智恵がある立派な人物だと言わんばかりの顔をして人との交流の場に出入りする時は、その天から与えられた位というものは同時に剥奪されるものでしょう。


人から与えられる地位というものも、またそのようなものです。
たいした価値もない男が、何かのはずみに華族となり、あるいは長く官僚として勤務して位階や勲等をもらったなどした人が、世間の付き合いにおいてとかく横柄な態度をとることこそおかなしことでしょう。
官僚の世界にも人材がいないわけではなく、自然と名誉が集まるはずのところですので、その自然の名誉を爵位勲位の形にして授けても、世間には何も不平はないことでしょう。
ただ、政府が爵位勲位の製造場所となり、お手盛りの名誉を俗物たちのおもちゃとして提供しているために、腐敗した匂いにハエが集めるのは自然の勢いとなっているのです。そのような状態では、塗師屋の職人が塗った金箔が木材の性質がどうであるかを問わず、腐敗した木材も素晴らしく良い木材も、両方とも同じように光を放って真偽を区別しないようなもので、あげくのはてにはどちらも同じように偽物だと見られる状態になるだけでしょう。