馬場辰猪の命日

今日は、馬場辰猪の命日。


馬場は、今はほとんど一般的には知られていないかもしれないが、福沢諭吉の愛弟子であり、自由民権運動のために命をかけて奮闘し、板垣退助らの愚かさや明治政府の容赦ない弾圧に傷つきはてて、アメリカに亡命し、窮乏の中で若くして亡くなった人物である。


福沢諭吉は、馬場辰猪を追悼し、



「君は天下の人才にしてその期する所もまた大なりといえども、
吾々が特に君に重きを置て忘るること能はざる所のものは、
その気風品格の高尚なるに在り。


学者万巻の書を読み百物の理を講ずるも、
平生一片の気品なき者は、
遂に賤丈夫たるを免れず。


君の如きは西洋文明学の知識に兼て、その精神の真面目を得たる者と云ふべし。


吾々は天下の為めに君を思ふのみならず、
君の出身の本地たる慶應義塾の為めに、
特に君を追想して今なほその少年時代の言行を語り、以て、後進生の亀鑑に供するものなり。


君の形体は既に逝くと雖も生前の気品は知人の忘れんとして忘るる能はざる所にして、有年の後尚ほ他の亀鑑たり。」


と述べ、後世の亀鑑・模範と称揚した。
なお、「気品の泉源・智徳の模範」という福沢の言葉も、馬場を念頭において述べ、自分の弟子達にそのようにあることを望んだ言葉だという。


以前、萩原延寿の評伝『馬場辰猪』という分厚い一冊を読み、随分と胸打たれたことがあり、その本によってわりと馬場についてはいちおう知識は少しはあるものの、最近はそれほどほとんど思い出すこともなく、日頃はほとんど意識せずにいた。


それが今日はどういうわけか、しきりと馬場のことが思い出されたので、ふと調べたら、今日が命日とのこと。


世の中とは不思議なものだ。


今も魂魄は、日本の自由や民権や民主主義のありかたを見つめているのだろうか。
馬場が、今の311後の日本を見たらどう思うだろう。
菅降ろしのくだらなさは、馬場が見た板垣らの自由党の愚劣さと似通っているのかもしれないし、民意を無視した政治のありようも、薩長閥とあまり変わらないと思うだろうか。
それとも、明治の頃に比べれば、はるかに言論の自由も政治上の自由もあり、すばらしい世の中と思うだろうか。
おそらく、両方思っているのではないかという気がする。