石川三四郎 自叙伝

石川三四郎著作集〈第8巻〉自叙伝 (1977年)

石川三四郎著作集〈第8巻〉自叙伝 (1977年)

石川三四郎の自伝は、なにせ面白いです。

明治の自由民権運動の気風の中で育ち、幸徳秋水大杉栄らと平民社で論陣を張り、キリスト教社会主義を遍歴、田中正造に私淑し、恋愛に苦悩し、ヨーロッパを放浪中に第一次大戦に遭遇、さまざまな人との出会いや生活の中で自分の無政府主義をはっきりと確立し、帰国後も昭和初期の動乱の時代の中で一貫して「土民主義」を貫き、敗戦の混乱も左右どちらにも与せず生き抜いた、その八十年の生涯は、日本の近代史の貴重な証言であり、また最も面白い精神史だと思います。

北沢文武さんの石川三四郎の伝記三部作と読み比べてみると、さらに面白いです。

自由に生きたい人、真の強さとは何か、真の自由とは何かを探求する人、必読の書と思います。

(追記)


石川三四郎の生涯を一言で言えば、「非暴力不服従」の人生だったのではないかと思う。

石川三四郎自身は、「非暴力不服従」という言葉を用いているわけではないけれど、そう形容するのが一番だと思う。

その点は、一貫しているように思える。

戦前の無政府主義は、いろんな流れがある。
石川三四郎幸徳秋水大杉栄とも親しかったわけだし、平民社の最初の頃からのメンバーだったけれど、幸徳や大杉よりはるかに長生きした。

大杉の死後、アナキズムは大杉を失ったことや、ロシア革命の影響によってマルクス主義が隆盛になったことにより、だんだんと衰退していったと言えるように思う。
マルクス主義に鞍替えしたアナキストも多かったのだろう。

また、大杉の仇討ちを目指したギロチン社は、安易なテロに走ろうとして、結果としてなんら一般大衆から支持を得ることもなく孤立して自滅してしまったと言えると思う。
また、昭和初期のアナキズムは、かなりな部分、天皇制への回帰や賛美、満州国や戦時体制への協力などに向った人々もいたそうである。

そうした中で、石川三四郎のみ、超然と、マルクス主義を堂々と批判し、かつ資本主義も批判し、テロや暴力に走るアナキストとは一線を画し、満州事変も鋭く批判できたというのは、稀有なことだったと思う。
非暴力も不服従も、両方貫いたというのは、考えてみれば本当に稀有なことだったと思う。

その思想は、宇宙市民主義だとか、土民主義だとか、赤裸主義だとか、ちょっとぶっ飛びすぎているようにも思うけれど、どれもなにがしかの真実が脈打っているようには、読んでてつくづく思われる。

大いなる理想バカか、あるいは何百年何千年先を見通した預言者だったのか。
判然としないが、たぶんそのどちらでもあったのだろう。

また、そうしたひたすら己の道を突き進んだ人物だったにもかかわらず、少しも孤高なところがなく、いたって気さくに党派を超えていろんな人と親しかったところも、とかく党派やセクトにこだわる日本人にはめずらしいタイプだったように思える。

あんまり党派にこだわらず、長く生きて、しかも非暴力不服従の人生を貫いたという点で、一見まったく正反対で似ていないように見えながらも、私の中では、福沢諭吉石川三四郎は、案外と似たところもあったような気もする。
大変な西洋通でありながら、少しもバタくさいところがなく、西洋文明を正確に摂取消化しながら、日本の良さや土着の伝統をしっかり踏まえているところも、共通しているような気もする。

ただ、福沢が世俗の生活においてまずまず成功をおさめたのに対し、石川三四郎は決してそうではなかったし、福沢が理想を抱懐した現実主義者だったのに対し、石川が現実を見てもいたのだろうけれど大いなる理想主義者だったことは異なる点だったと言えるかもしれない。
たぶん、福沢が近代化の開拓者であり近代の良き面を見ていくことができたし見ていた人間だったのに対し、時代がもうちょっとあとの石川は、近代の負の部分や暗部に対して批判的に取り組まなくてはならなかったという点もあったろう。
現代人にとって、未完の近代化を完遂しつつも、近代の負の部分を乗り越えることも必要だとしたら、おそらくはこの二人の思想はもう一度検討する価値のあるものだと思う。

たぶん、石川三四郎の投げかけている課題やテーマというのは、現代の日本人にとってもとてもためになることが多いと思うのだが、どうも今日忘れられた思想家っぽいところが、なんとも残念な気がする。