石川三四郎の「人生詩」

(2009年11月記す)


石川三四郎の著作集を読んでたら、こんな一節があった。


「人間は誰でも、生まれながら美的本能を持っている。

その本能を生かし、育成する程度に従って人格の品位が定まるのである。

各人がみな自らの憧れに気づき、それを愛撫する。

そこに自ら各自の人生詩が発芽する。

人間の生き甲斐というものが感じられるであろう。

そこに人間の価値観が見出される。

われわれの生活基準が初めてここに成立するのである。

商業を営む者も、工業に従事するものも、これなしには、ただ酔生夢死するに過ぎないであろう。

(中略)

義経は頼朝に亡ぼされ、頼朝は義経より長命し、優勝した。
しかし頼朝は人生を泥棒して一生を終り、義経は人生に詩を与えて貢献した。
平家物語」がわれわれに示す教訓は以上の如くである。」

(「人生詩」 著作集四巻436頁)


なるほどな〜。

ほんにそう思う。


人生詩、か。
私も、自分の「憧れ」や美的本能というものを忘れないで、大事にして生きたい気がする。

近現代人というのは、おおむね、「人生詩」というものをあまりにも無視しすぎるのかもしれない。

そういえば、幸徳も大杉も石川も、アナキストというのは、「人生詩」そのもののような気もする。