ふと、平治の乱に源氏が勝っていたら、どうなっていたのだろうかと考えてみた。
本当に武家の時代は来たのだろうか?
源義朝は、息子たちがどれも異様に優秀なことを考えれば、おそらくは本人もすぐれた人物だったのだろうとは思う。
また、鎌田政家らの忠臣があれほど忠義を尽くし生死を共にし、義朝の死後も源氏を慕って立ち上がる人があれほどいたことを考えれば、多くの人に慕われるだけの人徳もあったのだろう。
ただし、藤原信頼のようなダメな人物と組んで挙兵したところを見ると、どうも人を見る目がなかったのではないかと思う。
仮に信頼と義朝が平家に勝ってしまったとしても、義朝は信頼に良いようにあしらわれ、清盛が藤原をしのいで権勢を振るったほどには武家の力を発揮できなかったかもしれない。
また、清盛のような貿易国家のプランを持っていたとも思えない。
そうこう考えると、義朝が勝ったとしても、平家以上のものもはつくれなかった気がする。
義朝の長男の義平も、戦争に関しては異常に強く、生きていればさらに武功をあげたろうけれど、父親以上に短慮で、公家や朝廷にうまく利用されて使い捨てにされた気がする。
また、もしも父・義朝や兄・義平が生きていれば、頼朝もちょっと利発な程度の良家の三男坊で終り、あそこまで恐ろしい人物にはならなかったかもしれない。
十代の半ばの頃に、父や兄たちや妹たちが非業の死を遂げ、自分も明日をも知れぬ身となって流罪となった頼朝の心境はいかばかりだったろうか。
その体験と不遇の中で、もしそうでなければありえないほどの、冷酷さと意志の強さと力量を育んでいったのだろうと思う。
おそらく、公家に騙されて非業の死を遂げた義朝を反面教師にしたからこそ、頼朝は公家や朝廷を決して信用せず終始距離をとったのだろう。
また、短慮で血の気が多く、すぐに敵をつくった義平を反面教師にして、確実につぶせる状況に持ち込むまでは、心ならずも妥協したり手を組む柔軟性や忍耐力を身につけたのだろう。
そう考えると、頼朝の成功には、義朝や義平の悲劇がなくてはならなかったのかもしれない。
ただ、そうこう考えると、頼朝は若干気の毒な気がする。
普通にのほほんと育つことができれば、おそらく日本史には名をさほどとどめなかったろうけれど、本人にとっては幸せだったのではないか。
義経に対する頼朝の心情は、いったいどのようなものだったのだろうか。
朝廷にうまく丸め込まれて、しかも武辺だけはやたらと強い義経は、皮肉にも頼朝にとって、最もなつかしい父親や長兄と最もよく似た肉親だったのかもしれない。
心優しいが凡庸な範頼は、心優しく儚く死んでいった次兄の朝長に似ていたかもしれない。
それらのような目に遭わぬように、彼らの欠点を克服し抑圧することを目指して生きていて、最も見たくない姿をつきつけられて、今度は平家ではなく自分の手で殺害しなければならなかったとすれば、なんとも哀れなものである。
頼朝がいなければ、おそらく平安末期の混乱や無秩序はもっと長引いたかもしれないが、頼朝の心境や生い立ちを思うと、いささか哀れな気がしてならない。