(2009年11月記す)
社会主義には、大きく分けると、マルクス主義とマルクス主義以外の社会主義があるのではないかと思う。
マルクスがあまりにも整然とした論理と説得力があり、ロシア革命も主にマルクス主義者が実験を握ったために、ロシア革命以後は社会主義といえばマルクス主義というぐらい、マルクス主義が社会主義の中で主流となった。
とはいえ、社会主義の歴史の中には、マルクス主義以外の社会主義も多々存在する。
マルクス側から言えば、いわゆる「空想的社会主義」というものだけれども、案外とそういうものも、この社会を健全に保つためには大事なのではないかと思われる。
日本の歴史の中でも、初期の社会主義、つまり幸徳秋水や堺利彦や大杉栄や石川三四郎が集っていた「平民社」などを見ていると、種々雑多な思想が混ざっていて、もちろんマルクスの影響もあったのだろうけれど、それ以上に空想的社会主義やキリスト教社会主義の影響も強かったように思われるし、要するに彼らの目指していたのはイデオロギーより以前の「社会正義」や「人道主義」であって、社会正義や人道主義のことを「社会主義」と呼んでいたのだろうと思う。
幸徳や大杉や石川三四郎を「アナキズム」(無政府主義)と概括することもできるけれど、アナキズムといってもいろんな思想があるし、アナキズムも社会主義の一種であるし、要するにマルクス主義以外の社会主義ということが言えるのではないかと思う。
マルクス主義以外の社会主義を担う、ということに最も自覚的だったのは石川三四郎だったようにも思える。
もちろん、マルクスは偉大な思想家だとは思う。
また、のちのソビエトや東欧の失敗は、必ずしもマルクスの責任とはいえず、マルクスの意図せざること、後世の「マルクス・レーニン主義」の責任のような気もする。
必ずしもマルクス・レーニン主義の責任を、そのずっと前に死んでいるマルクスに負わせることは酷な部分もあろう。
とはいえ、世の中にはいろんな思想があった方が良いとは思う。
あまり難しいイデオロギー的なマルクス主義よりも、単純に社会正義を希求し、美学的な観点から資本主義や社会の害毒を批判し、自分のユートピアを目指す「マルクス主義以外の社会主義」も、空想的と言われようとも、世の中を索漠とさせず、自由で豊穣なものに保つためには必要な気がする。
そういうわけで、昨今マルクスの復興やリバイバルが言われているみたいだけれど、マルクスのみならず、エドワード・カーペンターや石川三四郎のリバイバルがあってもいいのではなかろうか。
ヨーロッパの強みというのは、マルクス主義以外の社会主義の層が、伝統的にかなり社会に厚みを持って存在していることもあるような気がする。
資本主義や利己主義ばかりでは、どうにも息が詰まるし人生も社会もつまらんと思う(思ってしまう)感性の持ち主には、マルクス主義以外の社会主義を自覚的にとりあげてみるというのも、面白い試みかもしれないと思う。
あぁ、もうひとつ言うならば、国家社会主義もマルクス主義以外の社会主義とは言えるのかもしれない。
そうすると、やっぱり、マルクス主義以外の社会主義というのは大雑把過ぎる区分で、無強権のマルクス主義以外の社会主義=アナキズムと分類するのがやっぱり一番いいのかもしれないけれど。