現代語私訳『福翁百話』 第八十三章 「物質的世界の進歩や改善について」
進歩や改良は人生の目的です。
人生は、ただ前に進むのみです。
しかし、実際には、精神的な事柄は変えることが難しいものです。
一方、物質的な事柄は、改革しやすいものです。
知識人や学者が注意すべきところです。
たとえば、昔から伝わっている、世の中が言っているいわゆる倫理、道徳、宗教、政治、法律などのようなものは、詳細に分析解剖して真理がどこにあるのかを調べてみるならば、しばしば荒唐無稽で、改めるべき要素がないわけではありません。
しかし、知識人や学者は、そのことを心に思うだけにして、口に出して言うべきではありません。
それどころか、冠婚葬祭の細かなことも、今なお昔からの習慣が支配しているもので、その表面的な儀式すら簡単に変えることができないのが世の常です。
これと反対に、物質的な事柄は、毎年毎年その様子が変化し、千変万化すること果てしがないものです。
にもかかわらず、その変化は円滑に行われ、世の中の人が激しく抵抗したりすることもありません。
場合によっては、新しいものに古いものから移り変わるに際して、世の中が驚くこともないわけではありませんが、ほんの一時の小さな波乱であり、だんだんと慣れればはじめは新しく珍しかったものも必ずしも珍しいものではなくなり、かえってその便利なことを喜び、古いものは自然に消えてあとかたもなくなるだけです。
この千数百年の歴史と照らし合わせて考えるならば、衣食住の生活に関することや、運輸や交通の方法など、一切の物質的な事柄の沿革を調べるならば、新しいものと古いものとの変化は、あたかも別世界のような観があるはずなのですが、その変化のために人の心がそれほど混乱したり騒動が起きたということは聞きません。
特に、日本は開国以来、時代の変化がとても急激であり、わずか三、四十年の間に、頭の髪の形も変わり、衣服の様子も変わり、火鉢はストーブになり、行灯はランプになり、さらにはガス、電気となり、武士が腰に差す二本の刀は一本のステッキに変わり、道路を行き来するのは駕籠から人力車になり、法螺貝や太鼓を持っていた軍隊は銃や大砲を持つ軍隊になり、小型の和船は鋼鉄の軍艦となり、陸の蒸気機関車、海の蒸気船、さまざまな工場の生産、本や新聞の印刷、郵便、電信、電話の便利さなど、日本人がかつて想像もしなかったものを採用して、まさに新しい日本国を造りだしたわけですが、国民は少しも驚かず平気です。
それだけでなく、さらに進んで新しい工夫を怠らないことこそ、不思議なことでしょう。
このことを論評して、私は「人間はそもそも新しいものを好む心を持っている」(人生固有新奇を好むの心)と言う以外ありません。
それだけではありません、その好むところは、先に新しいものを求める心が起こってその後に新しいものを求めるというわけではありません。
たまたま珍しいものに触れ、新しいものに接し、それに誘われて、そののちに新しいものを求める心が起こるわけです。
その様子は、一杯の酒を飲んで、二杯三杯と飲みたくなる気持ちと同じようなもので、そういう様子の人がこの世界の多数であるので、一般的に文明をリードする人は、物質的な世界の改革にはどのような劇的な変化を試みても、世の中の安寧を害する心配はないと理解し覚悟して、そして仮にも合理的に計算することができた事柄は、前後左右を顧みることなく、思うままにそのことを実行して良いのです。
場合によっては不幸にして失敗することもあるかもしれませんが、その時はまたチャレンジするべきです。
失敗と言っても、その間に失うのは多少のお金だけです、そんなに深刻に心配する必要はありません。
三回失敗しても、一回成功すれば、前後を償ってなお余りあるものです。
俗に言う、石橋を叩いて渡るような用心だけでは、文明の進歩はとうてい期待できません。