現代語私訳『福翁百話』 第八十二章 「身体と精神の関係」

現代語私訳『福翁百話』 第八十二章 「身体と精神の関係」



人の寿命には限りがあります。
その寿命を全うさせるものは、ただ摂生という一つの方法があるだけです。


医学は確かなことを教えてくれますが、現代の医学というものは専ら物質的なことにおける科学を取り扱うだけであり、精神という側面についてはいまだ十分でないもののようです。


医学の議論においても、もちろん精神について語らないわけではないのですが、病気において身体と精神がはたしてどのような関係を持っており、どのような影響を及ぼすかということになると、まだあんまり詳しい確実なことはわかっておりません。
精神の働きというものは形のないもので、研究することがとても難しいからです。


とはいえ、現実においては身体と精神の両者が密接な対応関係があるのは明白なことです。
たとえば、軍隊が戦闘中と平常の事態の中にある場合を比較してみましょう。
戦争中は、衣食住が不完全なことはもちろんのこと、症状の手当ても万事行き届かず、平常のようにはもちろんいかないわけで、いわば不養生のみをしているような様子です。
しかし、その身体の状態はどうかというと、健康状態は平常よりも倍に良く、病人の数は割合少ないと言います。


また、航海中の人が睡眠や食事を平常通りにはとれなかったり、鉱山で働く人が昼夜を分かたず鉱山の内部で働くような種類の不養生は世の中によくあることです。
しかし、特にその害を見ません。


また、それほど健康には見えない年老いた母親が、まだ小さなかわいい子どもを養育していて、この子が成長するまでは何としても死ねませんと言い、無理な願いを必死に持っている場合があります。
しかし、不思議なことに、その年老いた母親がとても長生きすることがあります。


これらの事例を数えあげれば枚挙にいとまがありません。
どれも、気が張っているため、精神が張りを持っているために、身体が維持されているものです。
精神と身体が直接関係があることを観察すべきです。


こうした事例と反対に、夫に別れ、子どもを喪ったことにより、暗く沈み込んで、ついには病気になってしまう人もいます。
特に、一緒に仲良く年をとってきた老夫婦が、高齢になってから連れ合いをなくすと、あとに残った方も急に気力を失って死ぬ場合が多いようです。
また、お年寄りが死の瀬戸際で、子どもが遠方から帰ってくるのを待ち、待っている間は不思議と持ちこたえて、その子どもが帰ってきたのを聞き、一目見て一言話してからすぐに亡くなるといった事例はよくあることです。
結局、そうした事例は、その人が、希望を失ったり、張りつめていた精神がゆるんでしまったために、身体に変化が生じたというわけでしょう。


以上述べてきたことがはたして間違いないならば、たくさんの塵が舞っている、不潔で不健康な都会に住んでいる人が、どのようにして病気を免れ生命を保つ方法を発見するかという、その方法を見つけることもそんなに難しいことではありません。
都会に住む人のほとんどの人は、つまり十人いれば八、九割の人は、貧乏です。
しかし、ただ生活に追われているというわけではないので、少し上を目指して、名誉や利益をもっぱら忙しく求めて、このチャンスにお金を儲けよう、あの人と手を組んで出世しよう、などと考えて、前後左右を顧みる暇もなく、お金のため、出世のためであればたとえ火の中水の中、三日三晩一睡もせずに徹夜して、その間いつ何を食べたのか飲んだか、それさえろくに覚えていないというほどの様子です。
生活や名誉や利益のための毎日の競争は、軍隊が戦地で飢えて食べ物を求めるようなもの、あるいは敵を殺して功績をあげ名をあげようとする様子と同じようなもので、摂生のことなど思いもよらない状態です。
しかし、その精神が張りつめているために、病気もやって来ないようです。
言いかえれば、都会の人が悪い空気の塵の中で無病息災であるのは、生活に追われていることのおかげ、あるいは名誉や利益を求める欲望の賜物と言うこともできます。


ですので、都会の人が、その年齢に似合わず、最近は病気になることが多く気力も衰えたなどと自分で言うのは、すこし出世して財産もできて、まあまあ望むことの一部は成し遂げたなどと、あえて口には出さないとしても、心の中で安心して、精神がすこし弛んだ人の場合に多いようです。


その反対に、下流の労働者は、何年働いても貧乏に追い付かない状態ですが、よく健康を保っており、病気に苦しんでいる人はほとんどの場合、本当に衣食が不足しているという身体的な理由による場合だけです。
なぜかと言えば、彼らが生活のために衣食を求める精神は、弛もうとしても弛むことができない状態だからです。


はたしてそうであるならば、摂生のための方法を工夫して、都会の悪い空気の塵を避ける必要は、特に中流以上の資産家の人の場合に切実だと理解すべきです。
苦労して働いている真っ最中の働き盛りの世代の人には、関係のないことです。