現代語私訳『福翁百話』 第四十五章 「人間の欲望は止めることができません」

現代語私訳『福翁百話』 第四十五章 「人間の欲望は止めることができません」




人間の心が不完全であることは、人間の身体が不完全であるのと同じことです。


本来であれば、人間の身体には病気はないはずです。
生れたら母親の母乳に養われて、成長してから食べ物を食べ、清浄で毒など存在しない空気や日光を受けて、寒さや暑さや雨露を適切に避けていれば、生涯の間健康で病気になることもなく、人類にそなわっている寿命を保ち享受し、死ぬ時もあたかも熟した実が落ちるように、あるいは枯れた木が倒れるように、なんの苦痛もなく自然にいのちを終えるはずで、そのように決まっているはずなのですが、実際には決してそうあることができていません。


一生涯の間健康で病気がない、ということはとりあえず置いておくとして、三年や五年の間に病院や薬の必要がなければ健康であることを誇りとすることができる程度の状態に人間はあります。
人間の身体を病気の巣窟と呼ぶことも、議論の余地がない事実です。


結局、このような状態の原因を辿るならば、病気になる本人の不養生もありますし、あるいは父母や先祖から遺伝した先天的な原因がそうさせている場合もあることでしょう。


身体がすでにそのような状態であれば、精神もまたそのようにならざるを得ません。
自分こそは品行方正で清らかで、肉体的な欲望はそんなにありません、とあえて自分で信じている者であっても、深くその内面に立ち入って日常生活の実際を詳細に見てみると、人それぞれ欲望にさまざまな種類や強さ弱さの違いはあるとしても、頭のてっぺんから爪の先まで洗い清めたようにもともと清廉潔白でなんの欲望もなく清らかだという人はいないことでしょう。


性欲に耽らないのであれば酒を好んだり、酒を飲まないならば喫煙をしたり、タバコも酒もしないならば甘い物に目がなくておいしいものを過度に食べたりするなど、何かに淡泊ならば別のものに濃厚であるのが人の常で、結局のところすべてに清浄淡泊であることができないものです。


貧しくて教育程度も高くない階層の若者たちに、風俗での遊びを止めさせようとするならばギャンブルを禁止すべきでなく、ギャンブルを禁止しようとするならば酒を与えるべきである、といったことは、昔の村の長老に存在していた秘訣でした。


中国において、アヘンを吸引する人が多い地域では、その地方に大酒のみが少なく、アヘンがない地域では、ちょうど酒とタバコをアヘンの代わりのように大量に耽溺しているようです。
ひどい事例では、猛毒であるヒ素を服用して美食として楽しむ人さえいるそうです。


要するに、人の心はさまざまな欲望の巣窟であって、ただ人それぞれの持って生まれた傾向に従い、その欲望が起こるところが違っているだけのことです。
このことはまた、本人の無意識や不注意ということには違いないものですが、先天的な遺伝に由来するところが最も大きいとも言えます。


ですので、今の世の中の人間は、心も身体も両方とも不完全なものであり、この不完全な心によってこの不完全な身体をコントロールして、そのことによって道徳や品位を維持し健康を保つとうとしているわけです。
このことは、大変困難なことです。
しかし、もしこのことに方法や手段を求めるならば、人間の心は不完全なものではありますが、段々とその心を高尚なものへと導き、酒やその他の肉体的な欲望の世界を離れていかせて、段々と精神的な楽しみに進めるという方法がひとつだけあります。


常に品格のある高尚な人に接し、その言葉や話を聞いて、その風格や姿を仰ぐこと。
もしくは高尚な内容の本を読んで深い真理を探究するようなことは、最も有効な方法です。
これが、人が良い先生を選び有益な友人を求めるべき理由です。


しかし、人にはそれぞれ性格や習慣もあり、急に高尚な道に進むのは窮屈だと言う場合もあります。
その場合は、しばらく見合わせて、少し程度を下げて、楽器や将棋や書道や絵画、骨董などの趣味によることです。
それらのことも、心を傾ければ、自然と精神的な楽しみになるものであり、この方法で他の肉体的な欲望を和らげて、段々と高尚な方向へと進む道を開くべきでしょう。


たとえば、偶然の幸運で急に大金持ちとなった人が、大金持ちとなったあとの現在の境遇にもかかわらず元々の品格がとても低くて、望みはただ肉体的な欲望を自由に満たすことだけにとどまり、まず広大な邸宅をつくり酒池肉林を楽しみ、一晩で大金を使うような豪遊をし、妾をつくって養い、芸者と遊んで、ひどい場合は貧しい時から一緒に苦労してきた妻を家から追いはらって苦しめるだけでなく、最終的には自分自身が不養生の罰を蒙って病気に苦しみ、家の雰囲気もめちゃくちゃくになって、子どもや孫のための養育も行き届かず、ただその財産で快楽を貪るばかりで、家の雰囲気は地獄のようになってしまっている場合もあります。


しかし、この横暴な大金持ちが、もうちょっと考えや心を豊かに持って、風流な趣味に心を傾けたり、あるいは宗教の説法を聴聞したり、もしくは品格のある上品な学者や先生たちと付き合ったりして、これらのいずれかの方法で、ただ肉体的な欲望以外に心を馳せる道の端緒につくことができたら、だんだんと気品を高尚な方向に高めて、心や身体が安らかである状態を得ることができるだろうと、他人事ながら残念に私は思っています。


結局、人間の人生における欲望は完全になくしたり止めることができないものです。
ですので、大事なことはただその方向を転換して、欲望を緩和したり、あるいはなんらかの欲望と別の欲望とを比較して、比較的害の少ない方向に導くことです。


まだ結婚していない若い書生や学生が、自分は道徳や品行に関して厳格だと自称しながら、ひそかに大酒を飲む習慣を形成してしまい、結婚したあともその習慣をやめることができず、とうとう人生を通して自分の身を損なってしまう人もいます。
本当は、その人のためを考えるならば、早く結婚を勧めて、酒を飲む癖がまだできあがらないうちに救ってあげることこそ得策でしょう。


人間の心や身体が不完全であることは、社会の遺伝に存在していて、必ずしもその人個人の罪ではありません。
ですので、この事情についての配慮はとても大事なことです。