現代語私訳『福翁百話』 第七十八章 「健康に関する科学の大切さ」

現代語私訳『福翁百話』 第七十八章 「健康に関する科学の大切さ」



「自分を省みて自分自身を知りなさい」ということは、人間の身体に対する健康科学・生理学の第一のモットーです。
さまざまな学問分野は、その範囲や効用は異なっておりますが、人として自分の身体がどのようなものであるかを知り、その性質や構造を知り、その運動作用を知ることはとても大切なことです。
ですので、健康に関する科学は、たとえ専門の学者でなくても、それぞれ自分の身を守るために大まかなことは心得ていなければならないことです。


人間が取り扱うあらゆる道具も、その性質と働きを知らなければ、間違ってその道具を損なってしまうことは多いものです。
ましてや、人間の身体については言うまでもないことです。
身体を大切にして損なわないようにしたいと思うならば、まず自分自身がよく身体について知識を持つことです。


人間の身体の構造や組織を教えるのは、解剖学(anatomy)です。
人間の身体の働きを教えのは生理学(physiology)といいます。
身体を健康に保つ方法を教えるのを衛生学(hygiene)といいます。


身体は骨を土台ににして肉がつき、肉はつまり繊維であって糸の集まりのようなものです。
骨の数は大小二百八枚、普段は感覚もなく、また自分から動くこともできません。
骨が動いてさまざまに働くのは、筋肉の繊維の伸び縮みによります。
飲んだり食べたりしたものは、口から入って歯によって咀嚼し、まず唾液が混じることによって変化し、喉を過ぎて胃の中に入ればさらに大いに消化し、さらに下って腸をめぐりめぐって通過する間に、骨や肉の栄養となる部分を吸収し、無用の部分を下から排泄します。
これを人間の身体の第一の道と言います。
栄養の部分を吸収すれば、血液に変化し、ついに骨となり肉となり膜となり爪となり毛となるなど、無限にさまざまな人間の身体の物質に変化します。
一般的に、このことを同化と名づけます。
血液の循環をつかさどるものは心臓であり、心臓から血液を送り出す管を動脈と言い、動脈の末端から血液を受け取ってもとの心臓に送り返す管を静脈と言います。
このように血液が循環数する間に、体中に炭素が混ざって不潔になり、その鮮やかな赤い色を失って黒い色を帯びて心臓に帰ってきます。
これをさらに肺に押し出して、呼吸するたびに空気に触れ、空気の中の酸素を引き入れてもとの鮮やかな赤い色に変えます。
ですので、私たちの呼吸と血液循環とは直接的な、切っても切れない関係にありますので、常に新鮮な空気を呼吸して、不潔な塵や埃を避けることは、生きていく力の源である血を汚さないようにするために大事なことです。


また、呼吸を頻繁に行って空気中の酸素を引き入れることが多ければ、それにしたがって体温が増して熱くなるのを覚えます。
それと反対に、呼吸が静かであれば、身体もまた冷却していくものです。
人が眠っている時は呼吸の数が少なく、体温は自然に下がるため、布団や服を厚くする必要があります。
夜中、布団を蹴ってしまい、寝冷えするのは、単に夜は寒いからではありません。
睡眠中、体温が下がるところに、着ているものが薄くなったがためと理解すべきです。


皮膚のすべての表面は、微細な穴があり、目には見えませんが、その様子は布やスポンジのような、あるいはザルのようなもので、日夜水分の蒸発が行われています。
これを気孔と言います。
気孔が塞がる時は、風邪、下痢など、さまざまな病気の原因となるために、用心すべきです。
たとえば、大いに動き回って汗をかいた時に、急に服を脱いで冷たいに風にあたり、あるいは皮膚に垢がついているのをほったらかしにしたまま風呂に入らずにいたりするなどのことは、どれも気孔を閉ざして蒸発を妨げるものです。
病みあがりの人が、夜に歩いて夜露に当たるのは良くないと言います。
これは本当は、夜露が空から降ってくるわけではなく、ただ夜は冷えるために急に気孔を収縮して蒸発を妨げてしまうため、病人にとって害があるということです。


精神は脳に位置しており、あらゆる知覚を司っています。
人間の身体の全体の運動は、その大小に関係なく、脳の命令に従っています。
脳はたとえるならば発電機のようなもので、身体中に縦横に走っている神経は電線のようなものです。
指先が火に触れればすぐにその指を引っ込めるのは、指の働きのように見えますが、実は火に触れて熱いという情報を指先の神経が脳に連絡し、ならばすぐにその指を引けと脳から命令を受けてはじめて運動しているわけです。
ただ、その連絡と命令は極めて迅速であるがため、時間を計ることができないだけです。
ですので、脳は人間の身体を主宰しているものであり、脳を保護することは大切なことです。
ですので、頭蓋骨が脳を覆っており、外傷を防ぐ備えとなっています。


また、人の心や身体はただ休息するだけでは維持できません。
いつも心を働かせていない人は愚かな者となり、いつも身体を使わずに怠けている人はひ弱になることは決まっています。
ですので、運動や鍛錬によって筋肉を使い、思考や考察を工夫して脳を使って英気を養うことです。
と同時に、その活動から、適宜に休憩をとることもまた非常に大切なことです。


そのための方法としては、一日二十四時間を三等分し、八時間は眠り、八時間は仕事し、八時間は食事や遊びや自由な休憩時間と決めるべきです。
また、その仕事の八時間も、精神だけを働かせたり、筋肉だけを使うのでははなく、これを半々にして、四時間は精神を使い四時間は身体を使って働くのが適当です。
とはいっても、忙しいこの人間の世の中では到底理想通りにはいかないでしょうから、八時間ずっと精神を働かせた人は休憩時間に身体を動かす楽しみを求め、逆に八時間身体を使った仕事をする人は休憩時間には身体を静かにして心を楽しくさせる工夫を第一にすべきです。


以上は、生理学や養生の方法のおおまかなものの一部分で、順序もなく、たったこれだけ知ってもそもそも現実に使って大した利益もないだろうとは思いますが、そもそも健康に関する科学の第一義は自分の身体をよく知りなさいということです。
その意味するところは、だいたいこのあたりのことでしょうから、まずは健康についての学問の方向性を示して、世の中の人が興味を起してその道に入るのを促したいというささやかな気持があるだけのことです。


最近出版されている人間の健康に関する書籍の数は非常に多いものです。
そうした本を読むのは、人間が家庭で生活する上における義務と言っても良いものです。
世の中の多くの学問がない人々が、家計が豊かであるにもかかわらず摂生に無頓着で、病気にかかったり、すでに病気になっても医者を選ぶ方法を知らず、自分の体に寒気や熱や痛みを感じるだけで、全然生理学や病気に関する考えがないために、たとえ良い医者に会っても明晰に自分の容体を伝える方法がわからず、また医者の言葉を聞いてもその意味を理解することができず、空しく寂しく、わけがわからないままに治療を受けて、わけがわからないままに苦痛や楽になった様子を訴え、回復する理由がわからないまま回復し、死んでいく理由がわからないまま死んでいく人が多く、程度の差こそあれ、だいたいみんなそんな有様です。
会社や家は繁栄しても、肝心の人は死んでしまいます。
結局、学問を重視しなかったがための結果と言えます。