現代語私訳『福翁百話』 第七十九章 「学問の知識がないことの不幸について」

現代語私訳『福翁百話』 第七十九章 「学問の知識がないことの不幸について」



最近、ある友人の話にこんなものがありました。
ある大金持ちの夫人で、年齢もまださほど年でもない女性が、ある病気にかかって亡くなったそうです。
その病気の様子を聞くと、急に病気になったと家の人々が驚き、早速かかりつけの医師を呼んだそうで、とりあえず草の根っこや木の皮を煎じた薬を処方してもらったそうです。
そのことによって、その医師の古い流儀がわかりますが、それから医師は日夜ずっと側に詰めて、日ごろは代わりに診療する弟子が看護師の役目を果たし、先生と弟子と協力してしきりにその薬を飲むことを勧めていました。
そこに、鍼の先生もやって来て、マッサージの先生もやって来て、さらには隣の家のおじいさんの勧めに従ってしきりに売っている薬も飲み、親戚が呼んできて加持祈祷もしてもらったりと、あらゆることに手を尽くしたけれども、病気の症状はだんだんと進行して少しも回復する様子がありませんでした。
そこで、その友人は、これほど薬の効き目もなく、神仏の利益も現れないならば、もはやどうしようもなく、せめては西洋医学の先生に診察してもらってはどうかと提案したところ、その家の人々の意見も会議でそう決まったそうです。
しかし、それならば西洋医学の先生は誰にしようか、誰それは有名だけど、その家の方位方角はなんとかの方角にあたっていて塞がっている、また誰それは方位方角は差支えがないけれど今日あるいは明日に呼ぶと日柄が良くない、などと言って、丸一日を無駄に竟やし、やっと念には念を入れて選んだ西洋医学の先生を招いたそうです。
そして、その先生が来て、玄関に入って、家族の者が応接してひととおり患者の容体を述べ、進んで次の部屋に入ると、マッサージの先生や鍼の先生が出てきて、皆似たような症状をそれぞれ説明し、さらに奥の病室に入ると、例の古い流儀の医者が現れて、その症状について長々と説明してしかもちっとも要領を得ません。
医者であってそうなのですから、ましてや家族の人の説明がよくわからないのは言うまでもなく、枕の側で看護する一家の主人の人をはじめ、二、三人の子どもたちも、皆はじめからその病気が何の病気なのか症状も理解できていないので、容体を述べてもとりとめもなく順序もなく、ただ茫然として患者の苦痛を眺め、うなだれて泣くばかり。


かくて、その西洋医学の先生は、その家のドアをくぐってからおよそ三十分以上を費やし、やっと患者に直接接して診察をしたところ、完全に内臓のある膜の急性炎症でありました。
病気を発症してから行われていた療法はちっとも何の治療の効果もないどころか、しばしば病気をひどくしていた事さえ明らかで、もはや手の施しようがなく、二、三日後についにお亡くなりになったとのことです。


巨万の財産を持っていて、何一つ不自由のない家にいた人が、突然病気に襲われ、主人は長く連れ添った妻と死に別れることとなり、子どもたちは最愛の母親を失い、青天の霹靂、その家庭は本当に真っ暗な不幸に陥ったことの原因は何でしょうか?


その家庭の雰囲気が、学問を軽視して、人間の身体についての科学や医学の考えもなく、切迫した時に医者を選ぶ方法を知らなかったがためです。


もし、この患者が、乞食同然の貧しい女性で、病気になったあとにすぐに無料の診療所に入れられて、西洋医学の治療を受けていたならば、たとえその取扱いは丁寧ではないとしても、治療方法は最初から適切な方針を間違えることがなく、死を免れていたことは疑いありません。


金持ちであることは幸か不幸か、大金持ちの夫人であっても死ぬか生きるかの段には乞食に劣ることもあると言います。
人間の世界の最大の不幸は学問の知識がないことによって生じるものが多いということを知るべきです。