現代語私訳『福翁百話』 第八十章 「医者の言うことにはきちんと従うべきです」
家庭生活や自分の身を守るために最も大事なことは、人間の身体についてのきちんとした学問的な理解と考えを持つことです。
病気にかかっても治療の一通りの筋道は理解しておいてしかるべきです。
たとえば、家を建てるのに、主人が自分で手を出さないとしても、大工や左官が何をしつつあるのか、大まかなことは注意すべきです。
また、自分の訴訟や事件を弁護士に委託するとして、一通りの法律は自分も理解し、常に自分の利害に関することをおろそかにすべきではないようなものです。
大工や左官に工事を一任して家の構造の様子を全く知らず、弁護士に訴訟を依頼して法律上の是非を全く知らないならば、自分から自分の利害を全く知らない者となることになります。
ですので、病気を医者に任せるだけで、自分はどのような病状に苦しみつつあるのかも知らず、どのような治療法によってこの病状を治しつつあるのかも知らないことは、つまり自分が自分自身のことを知らないことであり、人生における恥と言っても良いものです。
ですが、ここで私が戒めたいのは、自分がおおまかな病状を知り、その治療法の方針を知ることと同時に、すでに医者を選んでその医者に任せた以上は、医者の命令に背かないようにするということです。
素人がしばしば医学の学説を聴いて、興味を持ち、薬品の名前なども聞き覚えて、ついには自分の家にひととおりの薬品も用意して、下剤や発汗剤などを自分に調合して服用している人がいるようです。
これこそ、まさに藪医者であって、医学の敵としてみなすべきものです。
病気になって医者の来診を待ちかねて、たとえば湿布や足湯、半身浴など、外用薬を用いる機転を働かせることは、許されても良いことですし、場合によっては即効性がある場合もないわけではありません。
しかし、すでに病気と定まって医者に依頼する時は、つまり自分の一身の生死をその医者の手に任せて、ちょうど医者を救い主として仰ぐようなものなので、たとえ自宅にいかなる薬品があっても、たとえどんな人のアドヴァイスがあろうとも、主治医の命じるもの以外は一切用いないようにすべきです。
患者はもちろんのこと、家族一同、医者に対する心得は、自分を医学については何も知らない者で、治療法についても何も知らないものだと心得て、ほんのかすかなことさえ、助けてくれる医者の命じることを待つべきです。
そうであってこそ、医者もはじめて病人とその家族を信頼し、思うままに力量を発揮し、一瞬の間に決定的な治療の成功を決定し、劇的な効果をあげることもあることでしょう。
世の中には、場合によっては医者への信頼性について苦情があり、大勢いる凡庸で通俗的な医者を嫌い卑しむ人も多くいますが、本当の立派な医者は病人やその家族がなかなか言う通りにしてくれず信頼できないことを憂慮している場合が多いものです。