現代語私訳『福翁百話』 第八十一章 「空気は食べ物よりも大切です」
健康や清潔を保つために、食べ物や飲み物の良し悪しはもちろん大切なことです。
しかし、食べ物には一日三回という定まった量があるのに対し、空気を呼吸することは片時も止まることのないものです。
身体に直接の関係があるという点で、食べ物や飲み物と全く同じです。
ですので、空気の良し悪しの影響も、同じように大切なことで、健康や清潔を保つためにはもっと大切であるということを理解すべきです。
時折、都会の人が田舎の人の暮らしぶりを見て不潔だと言う場合がありますが、田舎の不潔さというのはただ目に見える部分だけのことです。
ちょっと事実に注意するならば、都会と田舎と比較すれば、田舎の方が清潔で清浄なことに気付くことでしょう。
お百姓さんの生活はもちろん粗末なもので、家の掃除も行き届かず、食べ物や飲み物や衣服もそんなにきれいなものではないことは、今更言うまでもないことです。
しかし、家の外に一歩でれば、見渡す限りの景色も空気もきれいで清潔で、新鮮な空気を呼吸することができます。
それだけでなく、お百姓さんはいつも仕事で山に行き畑に出て、男性も女性も老いも若きも、家にずっといることはめったになく、家の外での仕事に忙しいものです。
ですので、粗末な家で睡眠をとったり食事をとるのは一年のうちの半分の時間にもならないものです。
ましてや、粗末で汚らしい家というのも、ただ他人の目から見てそう見えるだけのことで、家の中に通る空気は新鮮な空気で、新鮮なきれいな空気を呼吸することは健康において食べ物や飲み物が粗末であることを償って余りあるものであることを考えれば、どうでしょうか。
都会の人が雑踏や人ごみの中に家を建て、昼夜二十四時間、塵の中で生活し、塵の中を行き来し、塵の中でつくった料理を食べ、塵の中に汚れた衣服を着、身体の内側も外側も汚れた塵によって覆われていることに比べれば、比較にならないことです。
試しに、都会の塵というものの性質を吟味するならば、都会に住んでいる人の無数の人々の呼吸から出された空気や、身体からの蒸気をはじめとし、便所、下水、掃き溜め、ペットの糞尿、食べ残しの魚肉の腐ったもの、その骨やはらわたを棄てたもの、米のとぎ汁、風呂の洗い流し、病人の排泄物、病院からは伝染病や梅毒やハンセン氏病の患者の身体から出たものもありますし、さまざまな排泄物や廃棄物が溢れています。
千差万別、さまざまな種類の無数の汚れや不潔なものが、湿気や熱によって蒸発したり、乾燥して風に吹き上げられたり、スモッグとなったりして太陽を覆うのが、都会の塵というものです。
街中を行き来すれば黒い色の衣服が白くなり、耳や目や鼻や口の中に汚れが入って不快になり、家にいても縁側や障子や硯に埃がたまるのも、すべて都会の塵が吹き込んできたと理解すべきです。
ですので、都会の人がきれいな衣服や食事をし、立派な建物や高層建築に住んで暮すといっても、ただ目に見える点できれいというだけのことです。
一呼吸一呼吸、間断なく、四六時中直接身体に関係してくる、生命の源ともいうべき空気の質はどうかと吟味して、科学的に医学的にその害毒を明らかにするならば、戦慄し悄然とすることでしょう。
はたして人間の呼吸が食べ物や飲み物と同じであり、人間にとって常に摂取している最も大切なものだとするならば、田舎のお百姓さんが摂取している空気がきれいで清浄で、なんの有害なものも含まれていない健康なものであることに、都会の人は全く遠く及ばないと言うべきです。
これが、地方では医療や薬が都会に比べれば不自由であるにもかかわらず、病人が少ないことの原因の一つであるに違いありません。
健康を大事にする人は、よく注意すべき事柄です。