現代語私訳『福翁百余話』第四章 「金と自分自身とどちらが大事か」

現代語私訳『福翁百余話』第四章 「金と自分自身とどちらが大事か」


ことわざに「先立つものは金なり」という言葉があります。
いかにもそのとおりで間違いありません。
商売にも工業にも資本金が必要なことは言うまでもなく、家庭生活や社会生活においても何をするにもお金がなくては何事も達成することができず、人間万事金の世の中だと言っても良いものです。


つまり、お金は万事に先立って必要なものです。
しかし、少し思いを変えて考えてみるならば、このお金と比較して百倍も千倍も大事なものがあることに気付くことでしょう。


その大事なものとは何でしょうか。
それは、身体が健康であることです。
人間は身体が健康でなければ、たとえ死にはしなくても、いつも不自由でつらく、楽しく過ごすことが自然とできなくなるものです。
おいしいものを食べても口の中でおいしく感じることができず、軽やかな服で暖かく過ごすことは自分の身体では無理で、巨万の富を積むことができていても心や身体の快適さや楽しみを買う方法はありません。
ましてや、巨万の富を持っていない人間がそれらを買うことができないのは当たり前のことです。


苦労して働くことは独立した収入や家計を獲得するためのことです。
しかし、病気の人は自分で苦労して働きたいと思ってもできません。
ただ座って、病気の苦しみや貧しさの苦しみに苦しみことしかできません。
ですので、人間において万事に先立つものは、お金ではなく、身体の健康でこそあることでしょう。


本当はわかりきったことであり、身長が一メートルに届かないぐらいの小さな子どもにもわかるはずです。
しかし、身長が一メートル八十センチぐらいの大きな大人の男性や一メートル五十センチぐらいの大人の女性であっても、そのことを理解していない人がいることこそ不思議なことでしょう。


それらの人々が幼い時から教育された内容の中には、もちろん健康を維持するための容量を学ぶこともあったことでしょうし、たとえ教育科目としてそのことを学ばなくても人の言葉の端々に聞いたこともあったことでしょうに、あらゆる教育やアドヴァイスはただ耳を通り過ぎただけで心に留まることがなかったわけです。
それらの人々は、ただ肉体的な欲望に駆られるか、そうでなければ精神論一辺倒に支配されて、身体を保ち維持する方法を忘れて、睡眠や食事が不規則で、活動や休息のとりかたが適切さを失っており、時には食べ過ぎたり、時には食事を全くとらずに飢えたり、前の日の夜は深夜まで議論したり酒を飲んだりし、あるいは一人で勉強して本を読んで夜更かしをし、次の日の朝は食事をとることも忘れてお昼になってもまだ寝ていたりというような状態です。
そうしたことは、どれも非常に不養生なことであり、若い時の元気は一時的にはそうした不養生に耐えることができるように見えますが、人間の身体の仕組みは必然的なものであり、大金持ちの家の人が病気がちの身体であることや、学者や知識人に短命な人がいることは、自然とその原因を理解することができるものです。


特に笑うべきことは、経営者やビジネスマンと呼ばれる人々が、いろんな事業やビジネスに東奔西走して駆け回るのはなぜなのか、その目的を聴くと、資産や財産をつくって独立して生きていくための基盤をつくるつもりだと言うことです。
素晴らしい良い心がけではあるのですが、その東奔西走のあわただしさは、多くの場合、この社会での人付き合いや交際のために、不養生を犯すということ以外の何物でもありません。
目的どおりに独立して生きていくための資産をつくることができたとしても、その身体はすでに早くも壊れてしまえば、そもそも何のために努力したのかもわからなくなります。
結局、お金を過度に重視しすぎて、自分の身体を忘れたものだと言えます。