現代語私訳『福翁百話』 第十三章 「何事も軽く見てこそ活発に生きれる」

現代語私訳『福翁百話』 第十三章 「何事も軽く見てこそ活発に生きれる」


人間がこの世を生きていく上で心がけるべきことは、何はさておき、この世を軽く見てあんまり熱心過ぎないようにするということにあります。


このように言いますと、この世界の人間の心を冷淡にしてしまい、何事にもベストを尽くさない人間になってしまうように思われるかもしれませんが、決してそうではありません。


この世を軽く見てこそ、心の本当の姿、心の正体が発揮されます。


この世を軽く見てこそ、この世を生きていくに際して活発な心の働きをなすことができます。


心の奥底でこの世を軽く見ているからこそ、決断することも可能で、活発に生きることも可能なのです。


「捨てることこそ得る方法である」と言います。
学問のある人はぜひとも考えるべき事柄です。


たとえば、囲碁や将棋の公式戦で、なんとしても勝とうと思う人はかえって負けてしまい、無心で囲碁や将棋を闘った人が勝つことは多いものです。


なぜそうなったのかというと、勝負を軽く見る人と重く見る人の違いによります。
人間は本来無心なものだと思い、公式戦を公式戦とも思わず、これぐらいの争いに負けてもたいしたことはないと覚悟しているからこそ、自然と速やかに決断を下すことができ、駆け引きを活発にすることができたのです。


また、軍人が出陣する時に、家を忘れ、妻や子のことを忘れて、敵に向かって突撃する時は自分の身も忘れると言うことがあります。


このことも、この世を軽く見るということを言っているものに他なりません。


誰でも、日常生活では自分の家族を思い妻や子を愛して、その思いばかりです。
ましてや、自分の身を大切にすることは、通常の人間の感情であり、ほんの少しの病気にさえも用心を怠らないものです。
しかし、戦場に赴く時となれば、一切それらのことを忘れて少しの問題にもしないのは、自分の身も家も妻子も軽く見て、人間は本来は何も持たずに生まれてきた、と心を決め、落ち着かせるためです。


このように決めた心の落ち着きや覚悟があってこそ、どんな苦痛や危険もいとわない勇気も起るものです。


ですので、この世を捨てることが、すなわちこの世を活発に生きるための心がけの根本である、と理解すべきです。


ものごとの一方に凝り固まって、ずっと忘れることもできず、しまいにはその事柄の価値を正しく観察する智恵も失って、ただひたすら自分が重視することを重視する人がいます。
そうした人は、結果として自分の思いの通りにならないと、人を怨み世の中に憤慨し、怨みや憤怒の感情が内側に燃え上がって、表情にも現れて言葉や行動にもなり、大きな出来事に際して方向を間違えてしまう人が多いものです。
ただその人本人だけにとってだけでなく、この世界全体にとって不幸なことだと言うべきです。