あるネットの掲示板での仏教についての質問に対し

あるネット上の掲示板で、

1、仏教は、真実は人それぞれであるとする価値相対主義にどう答えるか?
2、仏教は、この世の全ては無意味であるとする虚無主義にどう答えるか?
3、仏教は、人間は生まれつき悪であり人間の行動動機は全て利己主義であるとする性悪説にどう答えるか?

という三つの質問がなされていた。

なので、ざっと以下のような応答を書いてみた。




1、仏教は、真実は人それぞれであるとする価値相対主義にどう答えるか?

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凡夫は基本的に迷いの中におり、それぞれの自分の妄想の世界に住んでいます。
また、凡夫にとっての価値は、さまざまな物事との比較の中で通常決まっており、そうした意味で、相対的な世界の中で生きていると思います。

ただし、仏教は、仏の言葉は真実であるとしています。

なので、凡夫の中の価値というものは相対的なものであると気付くのと同時に、自らの迷いを頼りとせず、真実の仏の教えを聴きひらいていくことが仏教徒の立場だと思います。

仏の言葉を真実と受けいれるという点で、単なる価値相対主義とは仏教は異なると言えると思います。




2、仏教は、この世の全ては無意味であるとする虚無主義にどう答えるか?



この世において一般的に価値があるとされている、さまざまな富や名誉や肩書や快楽が、結局のところは過ぎ去っていくものであり、死においては役に立たないものとなるという点においては、この世の中のある面を究極的には無意味であると仏教は教えてくれるものだと思います。

しかし、死に際して持っていけるものは、その人が育て高めてきた心の質、つまり業であると教えています。
したがって、戒を守り、瞑想に努力し、智慧を高め、人との関係の中で慈悲や利他を実践してきたことは、決して無意味ではなく、非常に大きな意味があると教えています。

したがって、この世のすべてを無意味とすると虚無主義とは違うと思います。



3、仏教は、人間は生まれつき悪であり人間の行動動機は全て利己主義であるとする性悪説にどう答えるか?


人間の心には大きく六つの原因があると仏教では説きます。

貪・瞋・痴、不貪・不瞋・不痴の六つです。

たしかに、通常の凡夫は、貪瞋痴、つまり貪りや怒りや迷いから行動することが多く、その点では確かに悪い部分も多いと説きます。

しかし、それだけではなく、人間の心には、不貪・不瞋・不痴、つまり人に与える清らかな心・慈しみ・智慧の心も生じるもので、これらを育てていくことができるとも説いています。

したがって、すべて利己主義で性悪説であるとは言えないと思います。


以上が、この三点について、仏教の観点から基本的に言えることではないかと思います。



ざっと、こんな感じで書いてみたけど、だいたいこう言えるのではないかと思う。