現代語私訳『福翁百話』 第十一章 「善い心は美しいものを愛する感情から始まる」

現代語私訳『福翁百話』 第十一章 「善い心は美しいものを愛する感情から始まる」



人間の心は、醜いことを嫌だと思い、美しいものを愛するものです。


冬の枯れた野原は何となくさびしいもので、春の桜が満開の頃は心も浮き立つものです。
秋の夕暮れに雁が飛んでいく姿は悲しげなものですし、春の花にたわむれる鶯の声は耳に心地よいものです。

ただ自然の風物だけでなく、人間が美しい衣装を着て、美しい邸宅や庭をつくり、美しい食器や書道や絵画、古美術品などを心の慰めとして愛することも、結局は醜いものを嫌だと思い、美しいものを愛する感情から生じています。


ですので、この人間の感情の範囲を拡大して考えるならば、人間と人間が接する中で、相手の人が喜ぶ声を聞き笑う表情を見るのと、相手の人が怒って憤慨する声を聞き不平不満や怨んでいる表情を見るのと、どちらがはたして自分の心にとって心地良いかと質問するならば、その答えを決めかねてぐずぐずする人はいないことでしょう。


そういうわけで、人間の心は、その本人の性格の善し悪しや正不正に関係なく、他の人が自分に対して善いものであることを望むものであり、善いことをしてあげて相手が欲していることをかなえてあげ、相手が喜ぶ声を聞き、相手が笑う表情を見る時は、春の野にウグイスが鳴く声を耳に聞くようなものですし、多くの花々がちょうど見ごろを迎えてきれいに咲いているのを見るようなものです。


衣服や住む家などのものですら、美しいものを好むものです。
ましてや、同じ人間の表情が美しく、満足した表情であるのを見ることは、言うまでもないことでしょう。
すべてこれらのことは、自分の心を楽しませ、和ませ、晴れ晴れとさせる手段になります。
善いことを行うのは、相手のためというより、自分のためです。
美しいものを愛する心は、善いことをなそうとする心の始まりだと知るべきです。