ルカによる福音書を読んでいて、あらためてなるほどと思うところがあった。
種まきのたとえの説明の箇所である。
「また、『善い地の上に』〔蒔かれた〕者たちとはこういう者たちのことだ。
つまり美しい、善い心で<言葉>を聞き、〔それを〕保ち、不屈さの中で実を結ぶ者たちだ」
(ルカによる福音書 第八章 第十五節 岩波訳)
なるほど、と思った。
種まきのたとえは、周知のとおり、荒地や茨の中にまかれた種はあまり育たたず枯れてしまい、善き地に蒔かれた種は何十倍何百倍と育つ、というたとえ話である。
他の訳で読むと、いまいちピンとこなかったのだけれど、この岩波訳
で読んでて、はじめてよくわかった気がした。
美しい、善い心でその言葉を聴き、それを保ち、不屈さの中で実を結ぶこと。
それが「善き地」である。
本当に、素晴らしい真理である。
これはキリストの言葉についてではもちろんのこと、どのような古典や真理や、あるいは憲法の言葉であっても、そのとおりではないかと思う。
要は、その地が、善き地であるか、それとも荒地や茨であるかどうかが問われるべきなのだろう。