ルカによる福音書を読んでいて、なるほどーっと思うところがあった。
「心して、あらゆる貧欲を警戒せよ。
ある人に〔資産が〕有り余るほどあったとしても、
彼の生命は彼の財産から出て来るものではないからだ」
(ルカによる福音書 第十二章 第十五節より 岩波訳)
「生命は財産から出てくるものではない。」
この一語は、本当になるほどと思う。
私はどうも愚かな身なので、お金さえあれば随分と安心も元気も出てきて良かろうなぁとしょっちゅう考える。
しかし、生命は財産から出てくるものではない。
いつでも、今ここで心の安心や朗らかさを得ることができないのであれば、金持ちであったとしても、必ずしも安心や朗らかさを得ることができるとは限らないのだろう。
金持ちでも不幸な人がしばしばいることは、ハワード・ヒューズの事例等々、枚挙にいとまがあるまい。
要は、今ここで、安心と朗らかさを得ることなのだろう。
しかし、では、どうすればいいのだろう?
人はやはり、魂に「渇き」を持つ者である以上、なんらかの精神的な大きなものと結びつくことが必要なのだと思う。
それが人によっては、キリストであったり、仏陀であったり、アッラーや、あるいはその他のものであったりするのだろうけれど、財産がいかほどあろうと、魂が乾ききったままであれば、あんまり意味はないのかもしれない。
生命は財産から出てくるものではない。
では、どこから出てくるのか?
その問いの答えと、魂の渇きを潤す命の水の出どころというのは、同じことなのだと思う。