「仏弟子への戒めの要略」(「仏説略教誡経」現代語私訳)

「仏説略教誡経」の現代語私訳をつくってみた。このお経も、短いが、仏弟子への戒めの要略として、厳しさと暖かさのこめられたすばらしいお経と思う。



仏弟子への戒めの要略」(「仏説略教誡経」現代語私訳)




唐の三蔵法師・義浄が翻訳しました。


このように私(アーナンダ)は聞きました。ある時、釈尊がコーサラー国の首都・シュラーヴァスティーにある祇園精舎に滞在し、数えきれないほど多くの仏弟子(比丘)たちと一緒におられました。
その時、釈尊仏弟子たちに告げておっしゃいました。


「あなたたちは知っているべきです。私の教えの中には、欲望の範囲を必要な範囲に限定して、足るを知り、生活すること(少欲・知足・活命)ということがあることを。
つまり、仏弟子たるものは、頭髪を剃り、僧衣を着て、鉢を持って家々をめぐり、托鉢して自ら生活します。世の中の愚かな人には、軽く見て侮られるものです。
しかし、もし、清らかな信心を起こした人ならば、世俗の生活を離れて出家し、このような生活で修行します。
その人は、世俗の権力の圧迫によって、あるいは世俗の悪人たちの恐怖によって、あるいは借金や債務によって、自分が生存できるかと恐れて不安であることが原因で出家をするわけではありません。
ただ、仏道に発心した原因は、生まれること・老いること・病気・死・それらにまつわる憂い悲しみ苦悩という、この人生の苦に対して厭い離れようという心が生じたことが原因です。
輪廻の中の五蘊の苦しみや煩悩の束縛を断ち切って、限界まで究め、解脱を求めたいと思うことが原因です。
あなたたちも、こうした原因から出家を求めているのではないでしょうか?そうでないことはないはずです。」


その時、多くの仏弟子たちが、釈尊に対して言いました。
「世尊よ、そのとおりです、そのとおりです。輪廻からの解脱のために、出家を求めたのです。」


釈尊はおっしゃいました。
「あなたたち仏弟子たちよ、もし一群の罪悪深重の仏弟子たちがいて、形ばかり出家するとしても、その心には多くの貪欲があり、眼・耳・鼻・舌・身の五感からの快楽に深い愛着を起し、怒りの心を起こし、悪い思考を起し、心はいつも怠り散乱して、精進努力を起さず、いつも妄想ばかり多く起して、瞑想を修習せず、五感の対象にかかずらわって、下劣なことを楽しみ、仏道の修行を願うこともなく、生涯の間に何も得るところがありません。
このような悪人は、たとえればどのようなものでしょうか。あなたたち仏弟子は、私が説く比喩を聞きなさい。
このような悪人は、たとえていうならば、野原の中で人の死体を焼く時の焚き木のようなものです。焚き木の両端は焼け焦げて、中間の部分は汚れています。
この木は、町に住む人も、野に住む人も、両方ともとても使えたものではありません。
私はいま、この比喩をもって、怠けと愚かさの中にいる一群の出家の人を喩えました。
そのような人たちは、俗世間のさまざまな快楽を捨て去らず、仏弟子の行うべきことを修習せず、いつも三種類の悪い思考、つまり五感の対象への欲望の思いから思考し、怒りの思いから思考し、人を害したぶらかす思いから思考を起こします。このような三種類の悪い思考は何が原因で起こるのでしょうか?
すべて、無明(無知)が原因であり、その原因から起こっていると知るべきです。
そのような人たちは、この身が壊れて今生の命が終われば、地獄・餓鬼・畜生の三つの悪しきところに堕ちてしまいます。
ですので、あなたたちは努力して仏道を修習し、無明(無知)を除き去り、断ちなさい。私は大いなる師です。あなたがたはその弟子です。私の教えの中における要略は、いまあなたがたのために説きました。この教えの要略を私が説いたその背景にある心、その原因となる心を知りなさい。大悲(カルナー)の心がその原因です。あわれみの心がその原因です。あなたがたを助けたいと思う心がその原因です。すばらしい楽しみを与えたいという心がその原因です。
私が説いた教えのとおりに、あなたがたは修行しなさい。
もし、林や寺院や樹の下や、あるいは町にいる時に、このように善く思いなさい。
「怠けてはならない。あとで後悔しないように、釈尊の説いた教えのとおりに修行して、今こそ解脱を得よう。」と。」


その時、釈尊がこの言葉を説きおわると、さまざまな仏弟子たちが、歓喜し、この言葉のとおりに実行しました。


原文
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20110604/1307154527