歴史ヒストリア 信長と清玉上人

歴史ヒストリアで、織田信長の最後の様子や遺体の顛末が特集されていて、なかなか面白かった。

http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/41.html


京都にある阿弥陀寺というお寺の清玉上人という僧が、本能寺の変の直後に本能寺に駆けつけ、信長の遺体を発見し、自分たちの手で阿弥陀寺に墓をつくって葬ったという。

清玉上人という人物は知らなかったので、へえ〜っと感心しながら見た。

その後、秀吉が阿弥陀寺で葬式を挙行したいと再三言ってくるのを、すべて、すでに葬式は行ったと清玉上人は断ったらしい。

本能寺の変の三年後、清玉上人は亡くなったが、その直後に秀吉は寺領を四分の一に削り、京都のはずれに移転させたそうである。
阿弥陀寺は参詣者も減り、困窮したが、森蘭丸の遺族が秀吉の天下でも気にせずに阿弥陀寺に布施を続け支え、寺は今も続いているとのこと。

清玉上人の母親が、清玉上人がお腹の中にいる時に道端で倒れたところを、信長の兄が助け、母親は清玉上人をその直後に産み落とし、しかもすぐに亡くなったので、清玉上人は織田家の中で育てられ、援助を受け、阿弥陀寺の住職になったとのこと。
信長ら織田家にとっては、家族のようなものだったのだろうか。
清玉上人は、その恩に報いるために、本能寺の変の直後に駆けつけたのだろう。

さっき、ネットで調べてみたら、阿弥陀寺は浄土宗のお寺らしい。
とすれば、もちろん、阿弥陀如来が本尊。

信長といえば、浄土真宗の僧俗を随分と数多く殺戮し、いくら戦国の世でいたしかたのない部分もあったのかもしれないが、随分とひどいことを行っているが、そのような信長にもその清玉上人を通じて阿弥陀如来の慈悲がそそいでいるのかと思うと、なんとも不思議な、じーんと来るものがあった。
五逆謗法の者も摂取するのが如来の御慈悲なのだろうか。

五逆摂取をテーマに、信長と清玉上人を主人公に小説に書けば、かなり面白いものが書けそうだけれど、誰か書かんのだろうか。



また、番組では、信長が本能寺の変の前日に長年の側近達に労をねぎらい自分の幸運を謙虚に感謝していることばや、本能寺の変で最後に女中達には女性は逃げても差し支えないので逃げて生きのびるように言ったことばが、当時の文書からピックアップされて紹介されていて面白かった。

信長は随分残酷なこともした人物だけれど、おそらく無意味に殺戮を求める人間ではなく、とてもフェアで合理的な人物だったのだろうとは思えるし、晩年はいささか苛烈さも和らいで優しい部分もあったのかもしれない。
同じ人間でも、時期によって変わることはあったかもしれない。

信長の一向一揆への残忍さについては、近年は石山本願寺側が信長を敵視したために戦闘になっただけで、信長に宗教弾圧の意図はなかった、とする研究もあるようだ。
私はそれはいささか信長に贔屓過ぎる見方で、信長に宗教弾圧の意図はなかったかもしれないが、宗教が権力や武力を持つことや、百姓が大名・武士に歯向かうことには徹底して破壊し弾圧する意志を持っていただろうと思う。
本願寺側が最初から信長に譲歩していればなんの紛争もなかった、というのはあまりにも信長に贔屓目の希望的に過ぎる観測だと思う。

とはいえ、信長にはおそらく宗教教義としての浄土真宗を弾圧する意図はなかったというのは事実だったろうし、本願寺の世俗的な権力や武力が解体され、百姓が武士に反抗しないようになれば、信長としては目的を達したということだったのだろうとは思う。

だが、これはなんとなく推測に過ぎないのだが、信長は比叡山に対してもそうだったかもしれないが、浄土真宗を仏教の堕落として毛嫌いして、憎悪していた部分もあったのではないかという気がする。
肉食妻帯をし、あの世の救いばかり求めて、努力や合理性を放棄したものとして、当初浄土真宗を考え、それゆえにその世俗的な権力の大きさや百姓蜂起の拠点という性格と相俟って、徹底して破壊し撫で斬りにしようと思ったのではないかと思う。
信長が本願寺と和睦したのは、その世俗的な権力を破壊して従属させるという初期の目的をほぼ達成したことに満足したこともあったかもしれないが、十一年間戦う間に、浄土真宗が決して当初思ったような退嬰的なものではなく、必ずしも堕落したダメなものでもないという認識を得たこともあったような気がする。
もっともこれは推測に過ぎない。

信長の時代の浄土真宗が実際にどのようなものだったかはよくわからない。
しかし、今の世にもしばしば多いようだけれど、「凡夫」という言葉を、本来はお恥ずかしいものだという慚愧の思いのこめられたことばだったことを忘れ果てて、単なる開き直りの言葉として用い、この世の中身をからっぽにして勝手にあの世のお救いを不真面目にあてこむような人間ばかりだったとしたら、信長が嫌悪感を持ったのもわかるような気もする。
実際はそうでなかったからこそ、信長とのあれほどの長期間の戦いを戦い抜く力があったのだろうけれど。
にしても、今、もしそのような堕落した、開き直りのものばかりだとしたら、信長みたいな人が現われてお灸を据えてもらった方がいいような気がするといったら、やっぱり言いすぎなのだろうか。