ドキュメント 「少年たちは戦場へ送られた」

今年の三月、テレビで満州への少年開拓団を特集した「少年たちは戦場へ送られた」という番組があっていた。

http://www.minkyo.or.jp/01/2010/01/002424_2.html

貧しい農家の次男・三男の十代の少年たちの多くが、満州に行って訓練を数年受ければ土地と家を自分が持つことができると夢を膨らませて、当時満州に開拓青少年義勇軍として渡ったらしい。

しかし、過酷な現地の農作業や、軍隊式の訓練。
食糧不足。

見ていて、暗澹たる気持ちになった。

また、当時それらの少年たちは知らなかったのかもしれないが、現地の人々への強制的な土地の収容や、炭鉱や施設作りの強制徴用なども番組で触れられていて、満州国というのは、開拓の少年たちも、また土地を奪われた現地の人々も、両方ともなんとも哀れなものだと改めて思えた。

さらに、ソビエトの参戦により、少年たちは筆舌に尽くしがたい辛酸と悲劇に巻きこまれる。
番組でとりあげられていた中隊二百人のうち、生きて帰れたのは八十人ほど。
死者百二十名のうち七十人は、敗戦のあとの収容施設で死んでおり、他の中隊の日本人の年上の少年たちからの虐待などによる衰弱死が多かったそうである。

なぜ、あの時代のその少年たちが、それほどの受難に遭わなければいけなかったのか。
なんとも考えさせられる。
満州国は、中には夢や理想を描いた人もいたし、必ずしも悪意ばかりでつくられたわけでもないだろうけれど、国内の小作問題を解決せずに外地にその矛盾を転化しようとしたことなどが、土台いけなかったのだろうか。

また、ちょっと驚いたのは、敗戦直前の八月十日に、日本人の開拓民を満載した列車が爆破されて千名近くが亡くなったという「東安事件」という事件があったそうで、今も謎らしいが、一説によれば、ソビエトの追撃を防ぐために関東軍が列車や線路を爆破したためという説もあるそうである。
いくら関東軍でもまさかそこまでするだろうかという気もするが、いずれにしろ一般市民を関東軍がきちんと守りきれず、無防備な状態で置き去りにしたことは確かなのだろう。

多くの少年や非戦闘員に塗炭の苦しみを味わわせる結末となった満州国満州移民というのは、一体なんだったのだろう。
守りきれないようなところに、一般市民を無防備に国策として送り込むなどということは、国家の責任としてあってはならないと思う。
国策が誤れば、一番犠牲になるのは、国策を策定する上層部やその家族ではなく、いつの世も庶民だ。

天皇とわが身を守るためにはあれほど一生懸命だった軍部や関東軍が、いかに一般市民の生命や安全の確保には冷淡だったかを思うと、なんとも言えぬ気持ちにさせられる。
戦前の何もかもが悪かったと言うつもりはないし、安易に批判することも本来は慎むべきかもしれないが、国内の小作問題や格差問題をきちんと解決しようとせず、国外への侵略によって解決しようとし、結果として一般市民の膨大な犠牲を出したということは、あの時代の最大の失敗だったと思う。
満州国をえっらい持ち上げて未来のモデルだなどと言ってる人が時折いるけれど、私は大東亜戦争にはそれなりのやむをえざる理由と義があったとは思うが、こと満州国にはどうにも批判せざるを得ないものを感じざるを得ない。