Nスペ 「権力の懐に飛び込んだ男 100日の記録」

以前、Nスペの「権力の懐に飛び込んだ男 100日の記録 湯浅誠」というタイトルで、湯浅誠さんの特集があっていた。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/100228.html

(以下はその番組を見た時の感想)


鳩山政権が成立した後、湯浅さんが政府の中に入って貧困問題の対策に努めていた様子を特集してあったのだけれど、番組を見ながら、本当大変そうだなぁとあらためて感じた。

ワンストップサービスを実現させようと湯浅さんが取り組むのだけれど、なにせ関係省庁や自治体のやる気の乏しさと動きの鈍さは、見ながらなんとも言えぬ気持ちにさせられた。

中には、意欲的な自治体の首長もいるようだけれど、自分のところだけがやったら利用者が自分の自治体のみに殺到するということを考えると、どうしても他の様子を見ながらということになるようだった。

また、せっかく首長の決断でワンストップサービスを実現しても、ろくに広報が現場の役人によってなされていないことがあるようだった。

さらに、年越しのための宿泊所の用意についても、縦割りの各省庁が、なんとも鈍いのろいやる気のなさそうな動きの中で、湯浅さんがなんとかがんばっている様子が映っていて、役所というのもほんに困ったところだなぁとあらためて思った。

中には立派な公務員の人もいるだろうし、番組にも鳩山さんの命令で動く直属のチームのような人々は、優秀で熱のある官僚だったようだったけれど、多くは特有の役人人種というか、熱もなにもない冷え切ったどうしようもない人種の役人が実に多そうだった。

政府の外にいてもできないが、政府の中に入ってもできないことがあるということ、
世論が動かないと結局できないことが多い、

ということが番組の中で言われていたけれど、本当にそうだろうなぁと思う。

政権交代だけではできることに限界があり、貧困対策についてももっと世論が形成されて、官民の意識が変わらないと、あんまりできることは限られるのかもしれない。
世論が動くことが、一番世の中を動かすことになるのだろうか。

とはいえ、湯浅さんのような、熱のある人に、政府の中に入ってもらってがんばってもらわないと、あのやる気のなさそうな役人連中はどうにもならんのではないかという気もする。

政府の中に入ってもできないことは多いかもしれないが、かといって政府の中にいろんな熱のある人材が入ることもやはり大事なのではなかろうか。

そんなことを、番組を見ていて思った。

維新直後の五榜の掲示には、「鰥寡・孤独・廃疾のものを憫むべき事」という理想が掲げられ、現憲法二十五条も、当初GHQの草案になかったものを森戸辰男らが国会で追加して入れた、日本人自身の手で定めた憲法条文なのだけれど、役人も庶民も、どの程度この五榜の掲示憲法二十五条の理想を本気で持っているのか、熱があるのか。
世論の形成、および政府の努力というものが、今後ますますないと、なんとも湯浅さんのような人がどれだけがんばってもどうにもならんのかもしれない。

そういえば、湯浅さんは、なんだか昭和初期の、小林多喜二のような人々の面影のある人だと思う。
ただ、一部の人だけがどれだけがんばっても、他が続かないとなかなか事態はよくならないのかもしれない。
権門上に傲れども国を憂ふる誠なし、財閥富を誇れども社稷を思ふ心なし、ああ人栄え国亡ぶ、盲たる民世に踊る、というのは、昭和初期のみでなく、今の世も同じようなものなのかもしれない。