ロシア革命雑感

(2009年8月記す)


二月革命十月革命をどう解釈するかって、けっこう難しいと思う。

極論を言えば、私は、二月革命は肯定的に見て良いと思うけれど、十月革命にはかなり首をひねる。

ロシア革命が、まず二月革命という穏健な民主的な革命が起こり、さまざまな党派がその中でせめぎあっていたのが、十月革命ボリシェヴィキ独裁へと変化していったのは周知のとおりだけれど、

どうも十月革命というのは、かなり問題をはらみすぎた革命だったのではないかと思える。

ゴーリキーなども、二月革命は賛美し、十月革命には背を向けるような立場だったようだ。

十月革命後、制憲議会の選挙を行いながら、自分たちが多数をとれなかったと見るや武力で制憲議会を廃止したボリシェビキのやり方や、ほとんど言論出版の自由を禁止していったボリシェビキのやり方を見ていると、なんというか、もろもろの事情はあったにしても、かなり首をひねらざるを得ない。

もし、二月革命後の穏健な民主主義がもっと長く順調に持続していれば、ロシアのその後の歴史はだいぶ違っていたのではないかという気がして来る。

もちろん、それはありえなかった歴史への空想や妄想に過ぎないわけだし、二月革命十月革命における非ボリシェビキ派、つまり祖国革命救済委員会や同質社会主義派などの、エスエルやメンシェビキやカデットらの問題は、ボリシェビキに対抗する実力や暴力を持ち得なかったことなのだろう。

もし仮に、非ボリシェビキの革命勢力が、十分な実力や武力を備え、ボリシェビキに対抗できていたら、

また、その後の列強の干渉戦争の時に、列強がコルチャークなどの単なる反動の帝政派ではなくて、二月革命における非ボリシェビキ勢力と連帯していたら、

と、あれやこれやと、実際にはありえなかったシナリオが、頭に浮かぶ。

いまさら言っても仕方ないことなのだろうけれど、ロシアのその後の庶民の辿った、自由の窒息した社会における、筆舌に尽しがたい苦難を思うと、あれほどの歴史の遠回りをする前に、なんとかできなかったのだろうという思いが去来する。

レーニントロツキーに匹敵するだけの、強力なリーダーシップと権謀術数と実力を備えた人物が、非ボリシェビキの革命勢力の側にもいたら、案外とロシアは長い歴史の遠回りをせずに、二月革命の諸成果を維持しながら、自由で民主的な社会を実現できたのではなかろうか。

というのは、やっぱり単なる夢想で、あの国のお国柄や国民性から考えれば、自由や民主主義よりは、レーニンスターリンプーチンみたいな指導者を望むし、そうでなければ治まらない国なのかもしれない。

ただ、なんというか、歴史というのは、本当に難しいものだなあと思う。

もちろん、レーニントロツキーは、のちのスターリンに比べればはるかにマシなところもあるし、彼らなりの理想やそうせざるを得なかった諸状況もわからなくはないのだけれど、

やっぱり、十月革命というのが、あまりにも正当性において疑問があり、強引なあやうい革命だったというところに、テロや粛清に走らざるを得ない理由が生まれ、レーニントロツキーの時代にすでにチェカーによる赤色テロが発生していたし、スターリンの時代になって大粛清が起こる原因があったような気がする。

正当性において揺らぎなく、もっと広範な合意と自発的な支持を持った体制であるならば、さまでテロにも暴力にも依存せずに済んだのではないかと思える。

一国において、穏健な民主主義や、良識と理性を持った一群が権力や実力を握って維持するというのは、けっこう難しいし、稀有なことなのかもしれない。
だいたい、世の中は、腐敗した反動的な勢力と、過激すぎる独善的な勢力と、そのどちらかに走りやすいのかもしれない。

ロシアほど極端でないしとしても、どの社会にもその傾きや危険がひょっとしたらあるのかもしれないし、もしそうだとしたら、その両極端のどちらにも反対して、決然と実力を持って秩序とリベラルな価値観を維持するというのは、心ある人にとってその社会に対する最大の責務と愛と言えるのかもしれない。

ロシアとはまただいぶ事情が違うし、あんなにひどいことにはならないとは思うけれど、これから先、民主党が仮に政権ととることができたとして、もし無能や無策が過ぎて、民主党政権への幻滅と失望がもし広がるような事態になれば、さらなる世直し願望の噴出と、無能腐敗した自民党政権への先祖がえりと、その両極端の中で、さらに日本も混迷を深めかねない。

民主党にどこまで期待できるかはわからないけれど、党是に掲げている「民主中道」というのが、実はけっこう難しいし稀有だということへの、責任感と覚悟を持って欲しいような気はする。


(追記1)

十月革命自体は左派エスエル・アナキストボルシェビキの蜂起でそれも無血革命だったという指摘をしてくださる方がいた。

なるほど、たしかに十月革命は、左派エスエルとアナキストボリシェヴィキの合作であって、ボリシェヴィキ単独ではなかった。
非常に微妙で難しい問題だが、十月革命それ自体は必ずしも否定されるべきものばかりではなくて、問題は十月革命後のボリシェヴィキ独裁とその後のボリシェヴィキの横暴かもしれない。

ロシア革命の時に、ではどうすればよかったのか、自分があの時代に生きていればどうすればよかったのだろう、ということを考えると、なかなか難しい問題だが、面白いテーマでもあると思う。


(追記2)

この雑文を書いたあと、民主党への政権交代の熱は冷めきり、幻滅が広がっている。
おそらく、ケレンスキーらに当時の庶民が抱いた気持ちもこのようなものだったのかもしれない。

旧勢力の復活が起こって何の改革もない状態になるのか、あるいはさらに大きな権力交代が起こるのか。
あるいは、今いる政権が意外としぶとく残って、それなりの治績をあげることができるのか。

ロシアと全く同じではもちろんないし、あのようになるとは思わないが、若干日本の今の状況に似ている節もなくはない気がする。