一月二十一日に思ったこと

今日、一月二十一日は、勝海舟レーニンの命日。


勝さんは、なんというか、単なる歴史上の一人物というのを超えて、私にとっては非常に「さん」付けで呼びたいような、なつかしい人物の気がする。
あの語り口が今も新鮮で良い。勝海舟がどう見るか、ということを考えると、おのずといろんな智慧が湧く気がする。


勝海舟福沢諭吉という、本当の意味での知識人がいたことが、幕末・明治の日本にとって、最も幸いだったことだろう。
知識が生きた智慧となり、教養が生きた見識となっているような人物。
それが本当の知識人であり、知恵者なのだと思う。


一方、レーニンも、非常に該博な知識を持ち、哲学者と同時に革命家であるような人物だった。
いろいろな難点はあったにしても、たぶん、当時においては、今からでは想像がつかないぐらい、レーニンたちによるソビエトの樹立は、仮にそれが幻影だったとしても、多くの世界中の人に強いインパクトと感動を与えたのだろう。
民族自決や労働者の国という理念は、多くの人を奮起させた。
レーニンという人物も、多くのことを考えさせられる人物である。


正直、私は、レーニンについてはどう評価していいかよくわからない。
見方によっては偉大な革命家で、見方によっては危険な暴力革命主義者でとんでもないソビエトをつくりだした人物ということなのだろう。
実際に出来上がったソビエトがとんでもないものだったとしても、人によってはスターリンによって変質してああなったからレーニンの責任ではないという人もいれば、レーニンの時から問題をはらんでいたという人もいる。


クロポトキンケレンスキーが模索していたように、二月革命時点でとどめて、多様な意見を認めるロシアでうまくやっていければ、それが一番良かったのかもしれない。
ただ、一次大戦への参加を二月革命体制が続けている以上、レーニン十月革命を目指すのは、当時のロシアの状況においては、それなりの必要性もあれば、国民の広範な支持もあったのだろう。
問題は、レーニンたち自身というより、二月革命脆弱性にあったのかもしれないし、二月革命を脆弱な形でしかできなかったロシアにおける民主主義や社会の諸勢力の未熟にあったのかもしれない


いずれにしろ、レーニンだけを悪者にしても、どうにかなる問題でもないし、たぶん主観的にはレーニントロツキーも当時においては、善かれと思って最善を尽くしたのだろう。
ただ、十月革命が起こらず、あるいは失敗して、二月革命の体制が続いていれば、その後の世界はどうなっていたのだろうと、考えざるを得ない。
それは無理だったのかもしれないが、歴史は決して必然ではなく、その時々のさまざまな選択と偶然の積み重ねであるならば、その道もありえないわけではなかったのだろう。


とてつもなく長い目で見れば、一時的には成功しても、暴力革命というのは、いかに動機が純粋であろうと、結果として良い結果を生じず、むしろきわめて大きな悪い結果が伴うものだということを、十月革命の教訓は教えてくれているような気がする。
もちろん、これは生ぬるい意見なのだろうけれど、また、当時のロシアではそのような余地があまりなかったのかもしれないけれど、それでもやはりそう思わざるを得ない。


明治維新は、戊辰戦争という側面もあったが、大政奉還や江戸無血開城によって全面的な暴力革命となることが避けられた。
フランス革命ロシア革命と比較した時に、その点は、不徹底と批判されることもあるが、流血が可能な限り避けられたという点では、やはり偉大だったと思う。


大坂夏の陣の時の惨状を思えば、幕末において、勝海舟山岡鉄舟西郷隆盛の尽力により、江戸城での戦争が回避され、多くの江戸の人々の命が平和に保たれたことは、実に奇跡的なことだったと思う。
下手すれば、大阪城落城の時のような地獄絵図が現前していた可能性はあったことだろう。
いつの世でも、本当は平和を作り出すことが最も難しいことなのかもしれない。


そういう観点からすれば、暴力革命というのは可能な限り避けられるべきだという風に思うが、それは後世の後知恵であって、当時のロシアにおいては、レーニンたちにはレーニンたちの言い分もあったのだろう。


勝海舟は、「男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ。 あてにもならない後世の歴史が、狂といおうか、賊といおうが、そんなことは構うものか。 要するに、処世の秘訣は誠の一字だ。」と言ったが、おそらくはレーニントロツキーたちも、あの時代において苦悩しながら、誠意を尽くして生きたのだろうとは思う。


晩年のレーニンは、なんとかスターリンを退けようとしていたそうだし、遺言でもスターリンの除去を指示していたらしい(スターリンに握りつぶされたけれど)。
ああいう人物が出てくる体制そのものに問題があるのだけれど、レーニンも、人間としては哀れなことだと思う。


私は小学生の頃に、東独やソビエトがぶっ壊れるのを見て、それは幼心にもとても喜ばしいことに感じたのだけれど、なんというか、その後の世界というのは、今に至るまで、今もって、革命や社会主義の理想が滅びた後の、戸惑いや幻滅の中にあるような気もする。
資本主義のおかしさを感じつつ、かといって、一足飛びになんらかの処方箋を見出すことがもはやできないのが、ソビエトという壮大な実験がむなしく失敗に終わった後の世界なのだろう。
レーニンの失敗を乗り越えていくこと。
それには、やっぱり地道に、一足飛びの革命ではない、漸進的な取り組みしかないのだろう。


そして、おそらくは、世の中というのは、偉大な指導者の有無というより、その社会の成熟の度合いによるところも大きいのだと思う。
あまり一人の指導者に依存したり依拠することなく、大勢の賢い人間がいれば、より危なげなく、漸進的に平和裏に改革できるし、またそうでないと、場合によっては世の中はかえってのちのち危険な事態になるのだと思う。


勝海舟レーニンのような人物でさえ、多くの限界があり、思っていたほどにはできなかったことも多かった。
後世の我々も、生きている間にできることはたかが知れているのだろうけれど、誠意正心を尽すことが、先人に恥じない生き方ということだし、先人の苦労を無駄にしない唯一の道なのだろう。