日向美則 「瞑想と念仏」を読んで

以前、日向美則「瞑想と念仏」(京都修道院出版局)という本を読んだ。

http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1207963/s

すごい本だった。

独特の観点から、禅と念仏が一致すること、如来と自分の断絶を前提とした上での信仰こそ真であること、念仏に霊響があることなどを、非常に明晰な言葉で書いてあった。

うーん、すごい本があったものだ。

他の本も探して読んでみよう。

山崎弁栄聖者の影響が強い方のようで、念仏によってさまざまな霊的体験をし、悟境に達したという点では、弁栄聖者ののちの人では第一級の人なのかもしれない。

著者によれば、念仏を称えていると、不慮の災難や危険が起こっても必ず身を守られる、ということと並んで、以下の三つの内面的な幸福が得られるという。

一、神秘の霊感や啓示、解脱感
ニ、肉体的に実感となる平安、歓喜、法悦等
三、自己の性格的欠陥が消える

たしかに、それらはあるだろうなあと思う。

あくまで霊性の開発や人格の向上を主眼としつ、副産物としてそれらがもたらされることを、著者は縷々述べていて、興味深かった。

また、念仏三昧が、霊響をもたらし、現生護念と現生往生(現生解脱)がもたらされるというのも、たしかに今日の浄土門としてもっと言われていいことかもしれない。
実際、善導大師や法然上人はそうしたことを言っているし身をもって示しているわけだし。

かつ、著者が言うには、降魔についても、般若心経や法華経よりも六字名号がはるかにまさるということを実体験してきたと述べてて、なるほどな〜っと思った。
稀に見るいろんな体験をしてきているらしい。

今日必ずしもあんまり有名ではないようだけれど、すごい人もいたものだ。。
数年前、著者はご高齢で亡くなられたそうである。

しっかし、光明主義よりさらに一歩ぶっ飛んでる気がするので、浄土宗の中にもおさまりきらないだろうし、本願寺などから見ても浄土教とは言いながら異端すれすれか異端そのもののようにしか映らないのかもしれない。
私はすごいなあと思うけれど、なかなか受容されたり理解されるのは難しい領域の方なのかもなあ。