現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第十四節 第十五節

現代語私訳 善導大師『阿弥陀如来を観想する教えの入口』(観念法門) 第十四節 第十五節





「罪を滅する縁」


第十四節


罪を滅する縁(滅罪増上縁)とは、観無量寿経の下品上生の人のように、一生の間ことごとく十悪(十善戒に違反した行為)の重い罪業を造ってきた人が、病気になって死にそうな時に、良く導いてくれる人が、その人に南無阿弥陀仏と念仏を一声させてくれることにたまたま出遇うことができたとします。
すると、ただちに五十億劫もの長い長い間迷いの生死の輪廻の間で報いを受けなければならない重い罪業が除かれ滅されます。
これがこの人生において罪を滅する縁(現生滅罪増上縁)です。
また、下品中生の人のように、一生の間ことごとく仏法の中における罪業を造ります。つまり、八斎戒や五戒を破り、仏法僧に属する物を食べて慚愧の心も起こしません。その人が病気になって死にそうな時に、地獄の燃え盛る炎が一斉に目の前に至ります。良く導いてくれる人が、その人に阿弥陀如来の御身体の相(すがた)や功徳、浄土の美しい荘厳を説いてくれることに、たまたま出遇うことができたとします。
その罪の重い人は、そのことを聞きおわると、ただちに八十億劫もの長い長い間迷いの生死の輪廻の間で報いを受けなければならない重い罪業が除かれ、地獄が滅されます。
これもこの人生において罪を滅する縁(現生滅罪増上縁)です。


また、下品下生の人のように、一生の間、ことごどく五逆罪の極めて重い罪業を造ります。このような人は、地獄を経めぐって、受ける苦しみは窮まりないものです。この罪の重い人が病気になって死にそうな時に、良く導いてくれる人が教えて、南無阿弥陀仏の名号を称えさせ、十回念仏させるのにたまたま出遇うことができたとします。
一声一声の念仏の中において八十億劫もの長い長い間迷いの生死の輪廻の間で報いを受けなければならない重い罪業が除かれ滅されます。
これもこの人生において罪を滅する縁(現生滅罪増上縁)です。




第十五節


また、もしある人が、観無量寿経などに依拠して、浄土の美しい荘厳の光景を描いた絵を造り、日夜に浄土の宝の池を観想すれば、この現在の人生において、念々に八十億劫もの長い長い間迷いの生死の輪廻の間で報いを受けなければならない重い罪業が除かれ滅されます。
また、経典に依拠して、浄土の光景を絵に描き、宝石でできた樹木、宝の池、宝石でできた楼閣の荘厳を観想するならば、この現在の人生において、はかりしれない長い長い迷いの生死の輪廻の間で報いを受けなければならない重い罪業が除かれ滅されます。
また、蓮の花の台(うてな)の荘厳を、日夜に観想すれば、この現在の人生において、念々に五十億劫もの長い長い間迷いの生死の輪廻の間で報いを受けなければならない重い罪業が除かれ滅されます。
 また、経典によって、阿弥陀如来の御像の観想、真身観(阿弥陀如来の真身の観想)、観音菩薩勢至菩薩等の観想を観想するならば、この現在の人生において、念々にはかりしれない長い長い迷いの生死の輪廻の間で報いを受けなければならない重い罪業が除かれ滅されます。
 上に挙げたようなこともまた、この人生において罪を滅する縁(現生滅罪増上縁)です。