西春彦 「回想の日本外交」を読んで

以前、西春彦「回想の日本外交」(岩波新書)という本を読んだ。


http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%9E%E6%83%B3%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%96%E4%BA%A4-1965%E5%B9%B4-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%A5%BF-%E6%98%A5%E5%BD%A6/dp/B000JAE5NE

著者は、戦前から戦後にかけて、外交官として活躍した人物。
ソビエトや中国やオーストラリアで、主に仕事をされたそうだ。

戦前戦中のいろんなエピソードもなかなか面白かった。

開戦前夜の日米交渉において、甲案の暗号電文がアメリカ側に解読されていて、そしてその解読が、著しい曲解誤訳されていて、そこでアメリカ側が日本側の意図を大きく誤解し、甲案も乙案も蹴ってハルノートに突入していった様子が、わりと詳細に書かれていた。

その話は、何度かいろんな本や番組でも聴いたことはあったけれど、あらためて、あまりにも残念なことのように思う。
もはや、ここまでくると、悪魔のいたずらか、運命としか言えないようなものまで感じる。

歴史というのは、時に、誤解によって、悲劇的な方向に突き進んでしまうものなのかもしれない。
ちょっとした誤訳や、誤解が、相手側への理解を喪失させ、回避できたかもしれない戦争や破局をもたらしてしまうのかもしれない。
人間や、国家間の交渉というのは、そのようにあやういものなのだろう。

そうであればこそ、そこまで危機的な水域に至らないように、日ごろから危機の緩和につとめておくことが大事なのかもしれない。
危機的な水域に陥ったところで交渉しようとしても、しばしばとんでもない障害や誤解がはさまって、意思の疎通がうまくいかないということもあるのだろう。

日米交渉というのは、今思い出しても、甚だ断腸の思いがするが、おそらく、日本側にのみ非があるわけでもなく、アメリカ側もそんなに悪意に満ちていたわけではなくて、偶然の誤解や誤訳がはさまって、どうにもならぬ状況になっていったのかもしれない。

うーん、しっかし、残念でならない。
日米交渉を、なんとか妥結する術はなかったのだろうか。
ああいう状況までなってしまった、日本の外交や軍事に、それまでにかなりの非はあったろうし、アメリカの側にも大きな責任はあったろう。

後世の者にできるのは、外交には、そうした誤解がつきものと心得て、あんまり短兵急に結論を急がず、日ごろから相手の真意がわかるよう、またこちらの真意がわかってもらえるよう、信頼醸成や事前の危険水域突入回避しかないのかもなぁ。。

しっかし、東郷茂徳って、本当に大変だったろうなぁ。。
立派な人だったのだろう。
広田―東郷は、本当、不運な人だったと思う。



また、初期の日ソ関係はきわめて友好的で、大使館員も地元の人々とうちとけて交流した模様などが描かれており、また北鉄買収問題でもソビエトはかなり日本に譲歩していたことが書かれていて、

それが、日独防共協定の後でがらっと変わったことが書かれていて、なかなか面白かった。

なんというか、後世のよく知らない我々から見ると、ついつい戦前の日本とソビエトは、最初から冷え切った仮想敵国のような関係だったように思えるし、実際当時も、陸軍などにはそういう風に思い込む向きもあったみたいだけれど、実際は必ずしもはじめからそうだったわけでもなくて、相互のいろんなやり方や行動の結果、実際に仮想敵国ないし敵国へと変化していったのだろう。

難しいものだ。

歴史にイフを言っても仕方がないが、日独防共協定などをせずに、ソとそれなりに協調的な外交を保っていたら、日本もああもにっちもさっちもいかない状況にはならずに済んだのではないかという気もする。

この、西春彦の回想録には、大正の頃は、アメリカの側でも日本と戦争になる事態になるとはほとんど誰も思ってもいなかったようで、太平洋は永遠に平静だと、日米ともに思っていたとのことも書かれていた。
満州事変や日中戦争で、急激にアメリカの対日世論も険悪の度を深めていったのだろう。

あんまり、危機や相手への警戒心から、先んじて危機の予防対策としてあれこれ軍事行動や防衛協定などをしていくと、かえって本当ににっちもさっちもいかない状況に自らなっていくようになるのかもしれない。

人の心が、鏡のように反射するものであるのと同じように、国と国との外交関係も、そんなものだろうか。

今後、日本としては、米中露と、どこの国とも、それなりの友好的な関係と淡々とした外交を心がけるべきで、万が一の事態にはいろいろ備えて研究はする方がいいのだろうけれど、過剰な対中包囲網づくりや対中一撃論は、当分は政府レベルでそんなにまじめにとりあげられることはないのかもしれないけれど、仮になにやかやととられた場合、ソビエトに対する日独防共協定のようなことになってしまったら、なかなか困ったもののようにも思う。

なんというか、この本など読んでいると、満州事変も日独防共協定も、なんだかなぁ・・・という気がやっぱりしてくる。
危機の予防というのは、得てして、かえって危機を醸成するものなのだろうか。

淡々と、満州事変を起こさず、日独防共協定も起こさず、幣原外交みたいな感じで、やっていくわけにはいかなかったのだろうか。
日本にばかり非があるわけではなくて、アメリカの対日経済封鎖などもあったから、日本としてああせざるを得なかったような気もするが、なかなか難しいものだ。

ソビエトも、単に日独防共協定のせいで、というわけでもなく、初期の、まだレーニンなどの執政や、レーニンの死後も複数合議制だった頃から、スターリン独裁の完成時期となると、同じソビエトでも、だいぶ雰囲気が変わったろうし、それは日本や諸外国のせいだけというわけではなくて、ソビエト内部での問題もあったのだろう。

とはいえ、歴史というのは、難しいものだなあと思う。


あと、この本を読んでて、なかなか面白かったのは、当時の青島で、けっこう居留民が陸軍の特務機関の煽動にのって過激な暴動を起こそうとしたりして、外務省や海軍の心ある軍人や玄洋社系の人が日中の間で苦慮しているというところだ。
なんというか、中国側の排日運動でひどいものも随分あったのかもしれないけれど、当時は日本人居留民にもけっこう過激で横暴なものもいたのかもしれない。

しっかし、陸軍の特務機関ってのは、本当どうしようもないなぁという気がする。
さぞかし、当時の外務省や海軍や民間の心ある人々にとっては、憤懣やるかたないものがあったろう。

あの時代の日本が、未曾有の国難で、やむをえざる諸状況で破局に追い込まれた面も、もちろん否定できないと思うし、多々あったと思うが、一部陸軍の人びとが獅子身中の虫のようなもので、それらの人々の横暴が自ら招いた部分も、やっぱり若干あったように思う。
陸軍軍人にも立派な人々はいたのだろうけれど、なんというか、困った人々も多かったのだろう。



戦後の、安保条約改訂に反対していろんな意見を述べているところも面白かった。

著者は、旧安保条約は諸般の事情でやむをえないと考えていたようなので、いわゆる安保反対論者とは違ったようだが、六十年安保騒動の時は、独自の立場から新安保条約への改訂への鋭い批判を行い、一部識者からは注目されたらしい。

安保条約改訂も、この本が出たのも、ずいぶん昔の話。
今は、忘却の彼方に消えうせたこともずいぶん多いようだけれど、本を読んでて、この頃はそうだったのか〜、っとなかなか面白かった。

新安保条約の事前協議制への危惧(「協議」という言葉の条文上のあいまいさの問題)や、日本があまりにもアメリカへ過度にコミットすることへの危惧は、諸状況の変化にもかかわらず、今もよくわかる気がする。

あと、何よりも、胸を打たれるのは、当時は外務省のお役人でも、これほど堂々と自らの信念や考えを持って、アメリカや自民党に対してもの申す人がいたんだなあということだ。
今でも、中には立派な人もいるのかもしれないが、大半はアメリカと自民党に従順に機械的に忠実な能吏・俗吏しかいない今日の外務省に比べれば、まだしも戦中・戦後間もない頃の外務官僚には一家言ある人がいた、ということなのだろう。
これぐらいの気迫と信念は、その意見の是非や賛同不賛同は別にして、今の世にもあらまほしきものだ。

軍縮や、思慮深い外交というのは、本当、これからも大事なことだろう。

また、著者が引用していた、ワシントンの演説、というのが、なかなか興味深い、感銘を受けるものだった。

「天涯地角互市を求む」という言葉も、いい言葉だなあと思った。