二年半ぐらい前、TNCで「日よ日よ紅え日よ 詩人 金素雲の生涯」という番組があっていた。
(以下はその番組を見た時の感想)
番組を見て、金素雲という人の苦難の人生に心動かされた。
日韓の狭間で、本当にいろんな波をもろにかぶった人生だったのだろう。
番組の中で、昔のインタビューで保存されいてた、金素雲の肉声で流れていた言葉が、印象的だった。
口角泡を飛ばして議論するより、叙情詩などをひとつでも多く紹介して、あたたかなぬくもりのあるものを伝え合って、相互理解を深めることが、堅い壁を乗り越えることにどれほど役に立つか。
比較にならない。
だいたい、そんな意味のことをおっしゃっていて、なるほどーっと思った。
本当にそう思う。
つまらぬ閉鎖的なナショナリズムや政治・軍事の対立意識よりも、自分の民族の文学や文化を本当に愛して他の国の人々にも紹介し、そして他の民族のすぐれた文学や文化を受けとめて愛好してこそ、本当の意味の愛国者でもあり本当の意味の人間と私も思う。
「人間、それは民族に優先する」という金素雲の言葉も紹介されていて、そのとおりと思った。
ただ、金素雲は、本当の意味で自国の文化を愛して、あの植民地支配の苦しい状況の中でなんとか保存して、日本にも理解者を得ようと努めていた。
そのことが、今日必ずしも理解されず、植民地支配の協力者として断罪する向きが韓国にあるというのは、なんとも悲劇的なことだと思う。
番組でちらっと画像がうつった絵本の一節で、たぶん金素雲が朝鮮の民謡から翻訳したものだと思うのだけれど、
「念仏上手は 皆仏」
という一節が飛び込んできた。
何の本に載っているのだろう。
いつか調べてみたいものだ。