NNNドキュメント08 兵士たちが記録した南京大虐殺

二年半ぐらい前に、NNNドキュメント08「兵士たちが記録した南京 大虐殺」という番組を見た。

http://www.ntv.co.jp/document/back/200804.html

(以下はその番組を見た時の感想)


「兵士たちが記録した南京大虐殺」というドキュメント番組があっていた。

日中戦争の上海・南京戦における福島の第六十五連隊の事跡を、元兵隊の家を一軒一軒訪ねて陣中日記や証言を収集し、検証しているある民間の研究家の方が紹介されていた。
すごい方もいるんだなあと感心した。

その方が入手した、複数の陣中日記や証言から浮びあがる、南京戦の史実は、暗澹という言葉では表現できない、あまりにも悲惨で残酷な戦争の実態だった。

南京陥落後、第六十五連隊のもとに、およそ二万人の中国の兵隊が投降し捕虜となって、武装解除された。

しかし、もともと第六十五連隊の兵隊自体も、ろくに補給が来ず、食料が乏しかったのに、二万もの捕虜を食べさせていくことができなかった。

そして、軍の命令で、捕虜を二日間(あるいは三日間)に渡って、銃殺することになった。

捕虜を一箇所に集めて、有刺鉄線で囲んで逃げられなくし、機関銃を連射して銃殺した後、ガソリンをかけて焼却した。
そのうえ生きている者がいるかもしれないために銃剣で突き刺してまわり、最後は揚子江にすべての死体を捨てて流した。

そんな事実が、資料から語られていた。
あまりにも悲惨で、言うべき言葉が見つからない。
そもそも、捕虜の虐殺や虐待は、国際法で禁止されている。
複数の陣中日記が証言しているそれらのことが事実ならば、日本は国際法に大きく違反していたということになる。

それらの陣中日記によれば、どうも最初の日に七千人、二日目に一万三千人がそのようにして銃殺されたらしい。

また、いくつかの陣中日記が証言するところによれば、その二日間とは別に、さらに三日目に一万人を、おそらく別の連隊の行動への加勢だったらしいが、銃殺したらしい。

少なくとも二万人、ひょっとしたら三万人以上の捕虜が、たった三日間で銃殺されたということが、それらの陣中日記から浮かび上がってくる。

しばしば、南京事件はなかったとか、あったとしても三十万人も死んだという中国の言い分はおかしいと言い、あまり中国に謝罪したり悪かったと反省する必要はないという意見を、特に最近、主に右派や保守派の人々から聴くことがある。
たしかに、三十万人という人数に関しては、南京での死者数に限って言うならば、誇張があるのかもしれない。

しかし、福島の第六十五連隊の陣中日記から浮かび上がってくるのは、とんでもない国際法違反の捕虜虐殺の実態である。
三十万人という数字は別として、二日間ないし三日間で二〜三万人の捕虜が銃殺されたということ、それだけでも大問題ではなかろうか。

今でもポーランドの人がソビエト・ロシアに対して深く恨みに思っている事件で「カティンの森事件」というのがある。
第二次世界大戦中、ソビエトに投降したポーランド軍の二万五千の兵士が、カティンの森ソビエトの秘密警察によって裁判もなしに皆殺しになった事件だ。

ドキュメンタリーを見ていて、日本が南京で行ったのは、カティンの森事件と同等のことだったのではないかと思えてならなかった。

もし、ソビエトポーランドに対して行ったことがひどいことだと思うならば、やはり日本が中国に対して行ったことも、同様かそれ以上にひどいことだったと言わざるを得ない。

もし、第二次大戦で行われたアメリカのさまざまな国際法違反を糾弾しようとするならば、まずは日本が自らの行った国際法違反を、きちんと検証して慚愧していかなければならないだろう。

どうも、今の日本の愛国者を自称する人々は、ろくにアメリカの国際法違反を批判も糾弾もせず、また自国がかつて南京などで行った国際法違反などについてもきちんと省察しようとしない人が多いように思うが、それで国際社会の信頼も自国の本当の誇りも得られるのだろうか。

自国の過ちは深く慚愧し、そして自国が被ったアメリカの国際法違反による被害を決して忘れず、徹底して糾弾していくのが、本当の人道であり、愛国心と思うのだが、どうなのだろう。

それにしても、この番組で紹介されいてた、福島の民間の研究家の人には、感心した。
なんの見返りもないし、ほとんど人に知られることもないのに、ただ真実を明らかにしようと、黙々と第六十五連隊の元兵士の人たちの家を根気よく通い続けて、すこしずつ信頼関係を築いて陣中日記を見せてもらったり、証言のビデオを撮ったりしているという。
戦後生まれの人らしいが、何がそこまでその人をさせているのだろう。
私には到底真似はできないが、資料の収集に対するその情熱やきちんとした態度は、すべからく鑑とすべしと思った。
ろくに資料にもあたらず、威勢の良い都合の良い意見ばかり振り回して、歴史の史実や深淵に対する謙虚さや傾聴の態度のないことこそが、最もいけないことなのだろう。