パトナーヤク『インド神話物語 ラーマーヤナ』(原書房)を読み終わった。
とても面白かった。
ラーマーヤナはマハーバーラタと並び称されるインドの古典文学で、名前だけは知っていたけれど、本当に面白い物語だと今回読んでいて思った。
また、物語の合間合間に示される深い叡智の言葉の数々にも感嘆させられた。
心を広げ、あるがままに事実や状況を受け入れ、他者の視点を理解しようとし、怒りを乗り越えて思いやりを持って生きようとするラーマやシーターの姿勢には、多くのことを教えられる気がした。
また、読んでいて感銘深かったのは、アハムとアートマンについての話だった。
人間はそれぞれ、自分のつくりあげた世界を生きている、いわば思いこみや偏見に彩られた幻想を生きている、そのことをインドでは「アハム」というそうである。
一方、本当に神とつながった視点を持ち、どの人に対しても純粋な思いやりと理解を持つことを「アートマン」というそうである。
つまり、自己中心的なアハムから、共感と思いやりと理解を基本としたアートマンに個人の視点が成長し移行していくことがラーマーヤナやマハーバーラタが強調していることで、そうしたアートマンが宇宙や神と本当につながっているということが梵我一如説の本当の意味らしい。
その他にもさまざまに考えさせられる物語やメッセージがたくさんあった。
「あらゆるところに恐怖が見える。
完璧な世界に恐怖があってはならない。
恐怖のない世界を作ることがダルマなのだ」
(上巻219頁)
「出来事は出来事に過ぎない。
それに良いとか悪いとかの価値を付与するのは人間だ」
(上巻232頁)
「ダルマの概念に忠実でいよう。
最悪の環境にいても、たとえ誰に見られていなくとも、自分がなれる最善の人間でいよう」
(上巻242頁)
「愛とは相手を見ることです。」
(上巻273頁)
「知識とは、水に浮かぶ丸太のようなものです。
悲しみの海で、我々が溺れずにいられるよう助けてくれるだけです。
岸を見つけるためには、自分の脚で水を蹴って泳がねばなりません。
他の人が代わりに泳いではくれないのです」
(下巻23頁)
などなどの言葉にも、考えさせられた。
ただ、ハッピーエンドで終われば良いものを、悲しい結末になっていくところと、いささか首をかしげざるを得ない違和感のあるエピソードが多々挟まれるところもまた、読者をして考えさせられるインド神話の面白いところとも言えるのだろうか。
ラーマーヤナはインドのみならず東南アジア一円にも広く伝播し、スリランカやタイやラオスなどの仏教国でも愛されているそうだが、なぜ日本にはあまり伝わらなかったのだろうか。
ラーマーヤナやマハーバーラタを知っているのと知らないのとでは、人生の楽しみがいささか変わって来るとさえ思える。