パトナーヤク『マハーバーラタ』を読んで

パトナーヤク『インド神話物語 マハーバーラタ』を読み終わった。

膨大な叙事詩を簡潔に二巻本に再話したものであり、とても読みやすかった。

読んでいて感じたのは、おそらく古今東西の古典文学の中で、最も面白く深いということである。

 

話の筋は、パーダヴァと呼ばれる五人の王子たちと、カウラヴァと呼ばれる百人の王子たちが、さまざまな因縁があり、クルクシェートラという場所で十八日間の大戦争が行われるという物語である。

戦争に至るまでの物語や、戦争が終わった後の物語や、付随して語られる物語や言葉が、しばしばとても深い叡智を湛えており、インドの精神文化の深さにあらためて驚嘆させられた。

 

おそらく、この物語はかなり大昔の実際の戦争がもとになっていると考えられており、マハーバーラタ叙事詩自体は紀元前四世紀から紀元後四世紀にかけて、およそ八百年ぐらいかけて徐々に形成されたそうである。

かなり具体的に日食や木星の位置が作中に記されており、それをもとにある物理学者が計算したところ、紀元前3067年から紀元前3066年の間に起こった戦争とのことである。

 

私が中でも胸に響いたのは、以下の言葉の数々だった。

 

「常におのれの権利を守るために戦え。

恥にまみれて凡庸に長生きするよりも、

たとえ短い生涯でも、

誇り高く輝かしく生きるほうがずっとすばらしい。」

(下巻47頁)

 

「誰もが必ず死ぬ。

突然に死ぬ者もいれば、緩慢に死んでいく者、苦しみながら死ぬ者、平安の中に死ぬ者もいる。

誰も死を免れることはできない。

大切なのは人生を最大限に活用することだ。

人生を楽しんで寿ぎ、

人生から学んで、                              

人生の意味を理解し、

共に生きる人々と人生を分かち合うことが大切なのだ。

そうすることができれば、最後に死が訪れても、死はそれほど恐ろしいものではないだろう」

(下巻191頁)

 

「人生は川のようなものだ。

人間がその流れの方向を変えようと奮闘しても、

結局は流れるべき方向に流れていく。

その水を浴び、その水を飲み、その水に癒され、その水をすべての人々と分かち合うがよい。

しかし、川と戦おうとはするな。

川に押し流されるな。

川に執着するな。

人生という川をじっくりと観察して、

そこから学び取るのだ」

(下巻195頁)

 

さらには、カウラヴァに勝利したパーンダヴァのユディシュティラが、最終的には戦いの虚しさと偏見や憎しみの誤りを悔い改め、すべての人々に対し、最悪の敵に対しても、純粋な思いやりを持ち、弱肉強食よりも共感の道こそ人間の道だと気づくところには、深く胸打たれた。

 

このマハーバーラタのごく一部分が『バガヴァッド・ギーター』であり、その部分だけは岩波文庫で読んだことがあった、全体の物語の筋を把握してはじめてバガヴァッド・ギーターもその意味がよくわかるし、やっぱりマハーバーラタは全体の物語を通してはじめてその素晴らしさがわかると今回読んでいてしみじみ思った。

 

また、マハーバーラタでは、「マツヤニヤーヤ」ということが批判されていたことも興味深かった。

マツヤニヤーヤとは、大きな魚が小さな魚を食べるということで、自然界の弱肉強食の法則である。

これを否定するところに人間や神の道があると、マハーバーラタは繰り返し物語の中で主張している。

とすると、新自由主義というのは、基本的にマツヤニヤーヤに人の世を戻そうとするものとも言えるようにも思われる。

マハーバーラタやインドのヴェーダの観点からすれば、新自由主義というのは否定されるべきけしからぬものということになるのかもしれないと読んでいて思われた。

 

その他にも、マハーバーラタは世俗の生活を重視していて、魂を深め内面を深めることと、世俗社会の中で生きて家族や社会に対する務めを果たすことは完全に両立するとし、あるがままに人生を見つめそこから学ぶことの重要性を説いているところは、同じインドでもある種の仏教などの出家や隠遁を重視する姿勢とはだいぶ異なるように思われた。

 

また時折読んでみたいと思うし、いつか原典訳も読んでみたいと思う。