どんな大河も一滴の水から

 自分が変われば世界が変わる。
 自分が動けばこの世の中は動く。

 とは、なかなか実感できない、思えないのが、現代人ではないかと思う。
 よほど大きな権力や財力を持っている人でもない限り、現代の複雑で大きな社会の中では、個人の力などは微々たるものであり、あまりにも無力だと感じるのが、私も含めてごく普通のことと思う。

 それは、ある程度は仕方ないし、当然のことではないかとも思う。

 ただ、論理的に考えれば、どんな大河や海も、一滴の水が集まってできている。
 どんなに大きな建築も、ひとつひとつの木材や石材が集まって構成されている。

 とすれば、いきなり全体に影響を与えることはできなくても、自分が変われば、少なくともほんの一部分は変化することになる。
 それが集まれば、少しずつ世の中も変わるかもしれない。

 大事なことは、自分が本当に誇ることのできる、知見や生き方を磨くことだと思う。
 そうすれば、簡単に付和雷同することもなく、大勢になびくこともなく、是々非々、己の判断で、この世のあらゆる事に対処できる。
 それが、草莽であり、自由人ということではないかと思う。

もちろん、過剰に自分が政治や社会に影響を与えることができると思いこんだり、影響を与えようと気負い過ぎると、えてして人は幻滅し、無力感を抱くものである。
近代民主主義というものは、一方では個々人に過剰な理想幻想と責任を背負わせようとするものであるが、本当のところは、普通の一個人は選挙の時以外は政治になんの影響力もないし、何も変えられないというのが事実である。
そのことを忘れて、それ以上を望むのは、政治について多くを期待しすぎ、また政治から多くを期待しすぎていると言うべきかもしれない。

しかし、そのことを踏まえた上で、なお、海も一滴から、と思うことは、大事なことではないかと思う。