今ここにゆえに我あり

以前、予備校の模試の採点をしていた時に、なかなか面白い答えがあった。

本当は、デカルトの「我思うゆえに我あり」という答えを書かなければいけない欄に、

「今ここにゆえに我あり」

と書いてあった。

かなり笑ったあと、これは名言だ、デカルトよりこっちの方がすごいかもしれん、と思った。

考えてみれば、「私がここにいる」と思う感覚も、今ここに私がいるからこそである。
今ここ、がなければ、私のあれやこれやの考えや妄想もありえない。

「私」などという感覚は本当は単なる錯覚で、本当にあるのは「今ここ」だけかもしれない。

そう考えてみると、これはなかなか名言かもしれないと思った。

過去はすでに過ぎ去ったもの。
未来はいまだ来ないもの。
にもかかわらず、人はとかく過去や未来に思いを馳せ心を煩わす。
大事な今ここを見失いがちになる。

新聞や週刊誌などを見ると、未来の不安を掻き立てたり、過去の歴史をああだこうだ言うものが多い。
それはそれで事実を直視したり整理するためには必要な場合もあろうけれど、たいていは不要な妄想のような気もする。

今ここに生きた時に、人は過去に束縛もされず、未来への不安に萎縮することもなく、本当にすべきことに立ち上がるのかもしれない。
それが草莽崛起ということではなかろうか。

歴史上の草莽と呼ばれる人も、その時の「今、ここ」を生きた人たちなのだと思う。
そして、そういう人たちの熱さを今感じることは、決して過去の冷えたピザを食うことではなく、いま熱いものを受け取ることなのだと思う。
また、そういう人たちを今語ることは、今の息吹であり、今の作業なのだと思う。
そこから、新しいものを創る土壌も生まれてくるのだと思う。

今ここにゆえに我あり、
今ここにゆえに草莽あり。