忠臣蔵論

もうすぐ、忠臣蔵のシーズン。

以前、近代デジタルライブラリーで、「赤穂義士評論」なる本を見つけて、ちょこっと読んだが、なかなか面白かった。
いろんな思想家が、赤穂浪士をどう評価したか、ということがまとめてある。

http://opac.ndl.go.jp/recordid/000000433341/jpn

これによれば、安井息軒は、赤穂浪士の一番偉かったことは、吉良邸討ち入りを果たしたあと、勝手に切腹したり自害したり逃亡したりせず、皆従容と幕府に出頭し、素直に法度の裁きを受け、その裁きに従って切腹したこと、と述べていて、なるほどーっと思った。

幕府の赤穂藩取り潰しと吉良へのおとがめなしという、喧嘩両成敗の法度の無視へのレジスタンスとして、赤穂浪士は吉良邸討ち入りを果たしたわけだけど、それだけでは国法の無視であり、無法に過ぎなくなる。
そこを、無事に本懐を遂げたあとは、きちんと国法に服したところが偉いと述べているのだが、そうかもしれない。

福沢諭吉は、「学問のすすめ」の中で、赤穂浪士をけっこう酷評し、佐倉宗吾の方がよほど偉いと論じている。
私も、福沢の言っていることはよくわかるし、そのとおりとも思う。
ただ、仮に国法遵守の重視の福沢の論理に則った場合においても、佐倉宗吾ほどではないにしても、赤穂浪士もかなり法律にきちんと事後には服しているわけで、安井息軒のような論じ方もあったかもしれないとは思った。

赤穂浪士の行為に対しては、識者によっていろんな論じ方があるのかもしれない。
私は単純に賛美したりけなす議論には両方ともあんまり納得がいかなくて、安井息軒や福沢諭吉の議論に一番共感するけれど、何はともあれ、一年半もかかってあれほどの人数で結束して何かを成し遂げるというのは、なかなかめったにない事件とは言えるだろう。

吉良邸討ち入りといったような暴力行為ではなくて、何か平和裏のデモやストなどにおいて、これぐらい整然と計画し結束して直接行動ができたら、それなりに赤穂浪士ぐらいは語り継がれる義挙にはなるのかもしれない。

国法を遵守しつつ、あまりにも権力の沙汰が間違っている場合は、整然と実力行使・直接行動に出るぐらいの覚悟や能力がある人が社会に多数いる方が、その社会は元気だし、義気を失わないものだとは言えるのかもしれない。

佐倉宗吾や、赤穂浪士みたいな人は、文明が進んだはずの二十一世紀の日本に、いったいいくばくいるのだろう。