福沢諭吉 「修身要領」
一、人は人たるの品位を進め、智徳を研き、ますますその光輝を発揚するをもって本分となさざるべからず。
わが党の男女は独立自尊の主義をもって修身処世の要領となし、これを服膺して人たるの本分を全うすべきものなり。
二、心身の独立を全うし、みずからその身を尊重して、人たるの品位を辱めざるもの、これを独立自尊の人という。
三、自ら労して自ら食うは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざるべからず。
四、身体を大切にし、健康を保つは、人間生々の道に欠くべからざるの要務なり。常に心身を快活にして、かりそめにも健康を害するの不養生を戒むべし。
五、天寿を全うするは人の本分をつくすものなり。原因事情の如何を問わず、自ら生命を害するは、独立自尊の旨に反する背理卑怯の行為にして、最も賤(いや)しむべきところなり。
六、敢為・活発・堅忍・不屈の精神を以ってするにあらざれば、独立自尊の主義を実にするを得ず。人は進取確守の勇気を欠くべからず。
七、独立自尊の人は一身の進退方向を、他に依頼せずして、自ら思慮判断するの智力を備えざるべからず。
八、男尊女卑は野蛮の陋習なり。文明の男女は同等・同位、互いに相敬愛しておのおのその独立自尊を全からしむべし。
九、結婚は人生の重大事なれば配偶の選択は慎重ならざるべからず。一夫一婦終身同室相敬愛して互いに独立自尊を犯さざるは人倫のはじめなり。
十、一夫一婦の間に生まれる子女は、その父母のほかに父母なく、その子女のほかに子女なし。親子の愛は真純の親愛にして、これを傷けざるは一家幸福の基(もとい)なり。
十一、子女もまた独立自尊の人なれども、その幼時においては父母これが教養の責に任ぜざるべからず。子女たるものは父母の訓戒に従て孜々勉励、成長の後、独立自尊の男女として世に立つの素養をなすべきものなり。
十二、独立自尊の人たるを期するには男女ともに成人の後にも自ら学問を勉め、智識を開発し、徳性を修養するの心がけを怠るべからず。
十三、一家より数家次第に相集まりて社会の組織をなす。健全なる社会の基は一人一家の独立自尊に在りと知るべし。
十四、社会共存の道は人々自ら権利を護り幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重していやしくもこれを犯すことなく、以って自他の独立自尊を傷つけざるにあり。
十五、怨みを構え仇を報ずるは野蛮の陋習にして卑劣の行為なり。恥辱を雪ぎ名誉を全うするには、すべからく公明の手段を択ぶべし。
十六、人は自ら従事する所の業務に忠実ならざるべからず。その大小・軽重に論なく、いやしくも責任を怠るものは独立自尊の人にあらざるなり。
十七、人に交わるには信をもってすべし。己れ人を信じて、人もまた己れを信ず。人々相信じてはじめて自他の独立自尊を実にするを得べし。
十八、礼儀作法は敬愛の意を表する人間交際上の要具なれば、かりそめにもこれをおろそかにすべからず。ただその過不及なきを要するのみ。
十九、己れを愛するの情を広めて他人におよぼし、その疾苦を軽減し、その福利を増進するに勉むるは、博愛の行為にして人間の美徳なり。
二十、博愛の情は同類の人間に対するに止まるべからず。禽獣を虐待しまたは無益の殺生をなすがごとき、人の戒むべきところなり。
二十一、文芸の嗜みは、人の品性を高くし、精神を娯しましめ、これを大にすれば社会の平和を助け、人生の幸福を増すものなれば、またこれ人間要務の一なりと知るべし。
二十二、国あれば必ず政府あり。政府は政令を行い、軍備を設け、一国の男女を保護して、その身体・生命・財産・名誉・自由を侵害せしめざるを任務と為す。これをもって国民は軍事に服し国費を負担するの義務あり。
二十三、軍事に服し国費を負担すれば、国の立法に参与し国費の用途を監督するは、国民の権利にしてまたその義務なり。
二十四、日本国民は男女を問わず国の独立自尊を維持するがためには、生命財産を賭して敵国と戦うの義務あるを忘るべからず。
二十五、国法を遵奉するは国民たるものの義務なり。単にこれを遵奉するにとどまらず、すすんでその執行を幇助し、社会の秩序安寧を維持するの義務あるものとす。
二十六、地球上立国の数少なからずして、おのおのその宗教・言語・習俗をことにすといえども、その国人は等しくこれ同類の人間なれば、これと交わるにもいやしくも軽重厚薄の別あるべからず。独り自ら尊大にして他国人を蔑視するは、独立自尊の旨に反するものなり。
二十七、我々今代の人民は、先代前人より継承したる文明・福利を増進して、これを子孫後世に伝ふるの義務を尽さざるべからず。
二十八、人の世に生まるる、智愚・強弱の差なきを得ず。智強の数を増し、愚弱の数を減ずるは、教育の力にあり。教育は即ち人に独立自尊の道を教えて、これを躬行実践するの工夫を啓くものなり。
二十九、わが党の男女は、自らこの要領を服膺するのみならず、広くこれを社会一般に及ぼし、天下満衆とともに相率いて、最大幸福の域に進むを期するものなり。