自分の道を侮らない生き方

箴言の中に、気になる箇所があった。


Whoever keeps commandments keeps their life,
but whoever shows contempt for their ways will die.
(Proverbs 19.16)


戒めを守る人は魂を守る。自分の道を侮る者は死ぬ。
箴言 第十九章 第十六節)


私が気になったのは、「自分の道を侮る者は死ぬ」という表現である。


一般的なキリスト教一神教のイメージだと、神の道や神の教えを侮る者は死ぬとか災いが下るということは山のように言われていそうな気がする。
実際、旧約聖書の中の十二預言書はそういった言葉のオンパレードな気がする。


しかし、ここで言われるのは、神の道ではなく、「自分の道」である。
それを侮る者は死に至るというのである。


英訳を参照してみると、このNIVの訳だけでなく、ジェームズ欽定訳でも、やっぱりその人自身の道ということになっている。
なので、ヘブライ語原文はちょっと私にはわからないけれど、やはりこれはその人生を生きるその人自身が自分の道を侮る場合ということを指している言葉なのだろう。


「自分の道を侮る」ということはどういうことだろうか。


たぶん、二つの意味があるのではないかと思う。


一つは、自分の人生なんてどうせ大したものじゃない、という自己卑下である。
自分の人生など大した意味はない。
自分の人生など大して良いこともない。
つまらない人生だ。
そんな気持ちを持っていたら、これが「自分の道を侮る」こと、自分の人生を侮るということではないかと思う。


二つ目は、それほど細心の注意を払ったり、誠実さを尽して生きなくても、人生は別にどうってことない、という風に考えることも、「自分の道を侮る」ことではないかと思う。
人生適当に生きて、無責任に生きても、あるいは日々のさまざまなことに手抜きをして生きても、べつに大したことにはならないだろう。
そう思って生きる、手抜きの生き方も、「自分の道を侮る」ことではないかと思う。



一つ目の方については、実は自分の存在は稀有なものであり、大きな願いがかけられていると気付くことが大切なのだと思う。
キリスト教の観点で言えば、おそらく一人一人に本当は神の愛がそそがれているということになるのだろう。


仏教でも似たようなことを言う場合があって、浄土真宗などでは一人一人にみ仏の願いがかけられているということを言う。
また、人が一人生まれるためには、何世代かちょっとさかのぼるだけでいかに大勢の先祖がいなければ成りたたなかったか、また生れてからもどれだけのいのちを食べ物としていただいてきたか、ということもよく言われる。


よく言われるが、悲しいかな、人はすぐにそのことを忘れてしまうのだと思う。
しかし、自分には何か大きな願いがかけられている、あるいは親や先祖や、この世に生れてからお世話になった人々の願いや支えが自分の身に加わっていると思うと、やはり自分の道を侮り自己卑下をすることは間違いなのだと思う。


一方、二つ目の、手抜きの生き方は、人生というのは常に自分の選択であり、その選択に自分が責任を持つということを忘れているところに問題があるのだと思う。
これは自己卑下の反対の、おごりにつながるのかもしれない。


一つ目と同様、もし自分の大きな願いがかけられ、始終大きな真心で育てられてきたと思えば、手抜きをして怠って生きるのは、なんとも恥ずかしい気持ちになる。


また、さまざまな誘惑や岐路にさらされているこの世を生きるにあたって、警戒心や細心の注意や気づきを忘れて、ぼーっと生きて、流されて誤った方向にいってしまうならば、せっかくの人生を大変無駄にしてしまうことだろう。


自分の道を侮ることの対照として、この箴言では、「戒めを守る」ことが挙げられている。
これは、要するに、道徳をきちんと守るということであり、人生の一つ一つの出来事において、道徳や知恵に基づいて選択するということだろう。


自分の道を侮らず、自分の道を尊び、自ら判断し選択して責任を持って生きていくこと。
その生き方を、昔の人は独立自尊やセルフメイドマンという言葉で呼んだ。


この独立自尊やセルフメイドマンの生き方は、別におごりや無宗教とは関係ないのだと思う。
むしろ、リンカーンのように確固たる宗教的信念のある人ほど、自分の道を侮らない、この生き方になったのだと思う。


もちろん、人間の身というのは愚かな限りあるものだから、自分としてはこの選択が良いと思っても間違っていたということもあるかもしれない。
また、戒めや道徳を守ろうと思いながらも、守ることができず、末徹らないのが、普通の人間にはどうしてもあることだと思う。


しかし、そうであればこそ、自分の道を侮らないように心がけていき、そのつど再び自らを戒めていくことが大切なのだと、この一節をじっと見ていると思わされる。


自分の道を侮らない生き方。
これは考えれば考えるほど、深い言葉であると思う。