信仰についてのメモ
・「神の声を聞き、戒めを受け入れ、主に信頼し、神に近づこうとする。」(ゼファニヤ書第三章第二節より)
・神と人とが相互に関わり合っている自覚を持つことがユダヤ・キリスト教である。
・神の思いと一致していく過程が信仰である。
・魂を神に開くこと。
・神を進んで内面に迎え入れ、生を聖なるものとする。
・「神は知恵や御心に従うことを教えるために、私をこのような境遇に置くことしたのだと思った。」(イクイアーノ)
・「他の人にはどれほどささいなことに見えても、あらゆる出来事に神の御手が働いている。」(ジョン・ニュートン)
・行動を伴う祈りをこそ。
・人間は神の声と蛇の声の間にいる。人間は聖霊と動物の間の存在である。
・健全なる来世観ほど人を偉大にするものはない。
・霊の糧である神の道に触れ、聖霊というマナを味わうこと、つまり聖書の言葉を読み、聖霊に接し、聖霊を多く受けることこそ、人生の秘訣である。
・信仰は祈りである。神を信じ、神がその被造物に親しくしてくださることを信じる者だけが、神に願いを述べる。
・祈っても答えがなかったらもう一度祈るべきである。
・祈る時はシェキナーと向かい合っていると思わなくてはならない。
・「思想」と「勇ましく高尚な生涯」を後世への遺産としてどう遺していくか。
・神を畏れるとは、神の法則と人間の道理に服従することである。知識とは、万物の真理と真価を知り、現象が存在する理由を知ることである。
・人の知恵をもって神の知恵に応ずることが道徳である。
・心を守るとは、罪に近づかず、悪を避け善に親しむことである。
・真の知恵は人間を神の友にする。
・信仰とは、何よりも、信頼である。神に信頼し、自己に勝ち、世に勝つ。
・自分は誰とも違うたった一つの結び目である。
・トーラーは七十の顔を持つ。今日、我々に何を語りかけるのか。
・自然の書物と聖書を愛し、自然の神秘を讃え愛する人間が箴言の知恵ある人。
・祈りは空鉄砲ではない。確実に手ごたえがある。
・祈りとは、隠れた世界に切り込んでいくことである。
・自分自身が聖書の神の言葉の純粋なこだまであろうと努めているかどうか。
・祈りとは神の心を求めること。自分の心を押し付けることではない。
・神の御心に沿わないことが罪である。
・神を知るより、似ようとせよ。知るよりも、神を愛し、信頼し、祈るのが信仰である。
・神を知ることではなく、神に知られることを大切にするのが信仰である。
・神の大きな生命の流れを発見し、その流れに入っていくこと。
・私は神のようになっているか?(分かち合っているか?)
・私は神のような力を発揮しているか?(神への信頼を持ち、確信の器となっているか?)
・私はどこにいるか?私自身の可能性を切り開く道の途上のどこにいるか?
・潜在的な力を実感し、とるに足らないという思いこみを遮断し、すべては重要な意味を持ち、全て価値があり、すべては他のものに関して影響を与えているという高い実感を持っているか?
・神は焼き尽くすささげものをする人のただ中に宿る。
・偉大な魂にこそ聞く。
・神への信頼は、神への信頼を損なう事例ばかり見るのではなく、神への信頼を培う事例を一つ一つ探し、見出すことで培われる。
・イスラエルのおばあさんの言葉「アイデンティティの綱をしっかり持ち、自分自身の人生をしっかり建てていくことこそ、そうして生き抜いてこそ、ナチスに負けないことになる。自分が憎しみや虚無感から自分の人生を駄目にしてしまえば、それこそナチスに負けてしまうことになるのだから。」
・オバマさんの祖父母が愛していたゴスペルの言葉「人生にはどこかに必ず明るい側面がある。だから、それが見つかるまではあきらめてはならない。なぜなら、人生にはどこかに必ず明るい側面があるのだから。」 サムエル記のハンナのように他に何もできなくても、希望を持ち、祈ることはできる。それは大きな力である。