ふと思い出すドラマのことなど

小さい頃、あるいは長じてから見た、さまざまなドラマやテレビ番組を、しばしば、あるいはたまに、思い出すことがある。
意外と、自分の人生はその大きな影響を受けたことがあるような気がする。

ひとつは、私が小さい頃、『教師びんびん物語』というドラマがあっていた。
田原俊彦が主役の学校モノだった。
もうストーリーも全く覚えていないし、いったいどんなドラマだったかほとんど覚えていないのだけど、ただひとつ、その中のセリフを覚えている。

それは、

「教育とは、愛だ」

というセリフだった。

そのくささに笑いながら見た記憶があるが、しかし、あれから二十数年経ってしばしば、このセリフは真実だなぁと思う。
これは本当に真実と思う。
そして、教育に限らず、人生全般に言えることなのだと思う。

あと、もう一つ。
セリフではなく、生き方や物語として、なんだか自分が大きな影響を受けた気がするのは、やはり小さい頃に見た、年末時代劇『白虎隊』である。

これは、言うまでもなく、幕末の会津藩を描いたドラマである。
松平容保以下、愚直なまでに幕府に忠義を尽くし、天皇からも将軍からも最も信頼厚く、京都の市民からも人気があり、尊王攘夷のゴロツキ浪人たちの暴動や放火・窃盗を鎮圧し、治安を維持するために最も努力していた会津新撰組が、いつの間にか逆賊となり、時の流れに翻弄され、次々に多くの人が死んでいき、藩をあげて悲惨な滅亡を遂げて行く様子をよく描いていた作品だった。

それで、どうも、自分は、その後もずっと、このドラマの影響で、薩長中心史観というのは嘘くさく感じるようになった気がする。
薩長中心史観に限らず、勝者の側を中心にした歴史観イデオロギーというのは、総じて信用ならないものと思うようになった気がする。
むしろ、政治的な権謀術数に負けて行った、愚直な側に、共感を覚えるようになった気がする。
このドラマのテーマソングだった、堀内孝雄の「愛しき日々」の歌詞の、「かたくなまでのひとすじの道」という言葉や生き様こそ、真のもののふの道ではないかと思うようになった気がする。
そのためか、どうも、会津が敗れた後の、会津をつぶした明治政府の側がつくりあげてきた、この近代日本というもの自体に、どうもしっくりこないものを感じるようになった気がする。
会津や賊軍の側が祀られていない、官軍の戦死者のみが祀ってある靖国神社など、なんだかとても嘘くさいものに思うようになった気がする。

もちろん、幕藩体制そのものは、いずれ必然的に壊れるものだったのかもしれないし、会津新撰組の人々は、巨視的に言えば、時代に逆行する人々だったのかもしれない。
彼らに、近代日本がつくれたかどうかも、かなり疑問ではある。
だが、どうにも自分個人の生き方として、もし薩長会津のどちらかに与するならば、躊躇なく会津に与するような、そういう生き方や決断をしたいと、小さい頃も思ったし、今なお思ったりする。
それで、米沢藩雲井龍雄という人に興味を持って、ずいぶん一時期調べたりもした。
これも、小さい頃見たドラマの影響だったんだろうなぁと思う。

他にも、思い出せば、いろんなドラマやアニメの影響を受けてるんだろうなぁとは思う。