八幡愚童訓乙本 不浄事

 

不浄事。

 

右、御詫宣に、吾れ神道と現れて、深く不浄を差別するゆえは吾れ不浄の者と、旡道の者を見ば、吾心倦みて相をみざるなり。我人五辛肉食せず、女の汗穢各三日七日、死穢は三十三日、生穢は二七日なりとぞありし。香椎の宮には、聖母の月水の御時、いらせたまい所とて、別の御殿を作り、御さはりの屋と名付けたり。神明なを我御身を忌れたまう。いわんや凡夫の不浄つつしまざらんや。東大寺の大菩薩の御殿の後にして、大宮司田丸、女祢宜を嬈乱しけるを、人はいかでか知るべき、御詫宣によりて、十五年流罪せられにけり。御許山の舎利会に、一人の俗女房をすかして、人の見ぬ谷の底にて犯しけるほどに、二人共にいだき合いて、離れずして命失せにけり。その体とり合いたる様、近来までありといえり。寛治五年二月に、兵庫頭知定、二十余日になる産婦と同宿して、神楽に参勤す。たちまちに鼻血をびただしく出でたり。同八月のころ、知定が女子十歳ばかりなるが、違例して、我は八幡の御使いなり、汝産婦に懐抱して、御神楽え参りしかば、鼻血をたらして告げ示しき。それより御勘気ありしかども、汝が歌を愛したまうところなり。はや御神楽に奉仕すべし。また肉は更に不可服、大菩薩にくませたまふものなりとありき。中ごろ一人の女房参籠してありけるを、ある児常に逢いて嬈乱しけり。女房宝前に通夜したりけるに、びんづら結いたる若君、白杖を以て打ち驚かして、「しめ結いて苔の莚を敷きしより二人はここに人のふさぬぞ」と見えたりける。

かように不浄を忌みたまうを、御詫宣に汚穢不浄を嫌わず、謟曲不実を嫌うとあれば、婬欲死穢はくるしからぬ事なりとて、はばからぬ類多き事、神慮もっとも恐るべし。謟曲不実を嫌うなりと告げたまうをば、すべてあらためず、汗穢不浄を苦しくあるまじと申す様、前後相違の詞なり。内心は清浄正直なれども、外相に行触の穢れ、利益の為に大慈悲に住して、いささか不浄にあらんこそ、今の霊詫の本意なるに、我意に住して浄穢を分たぬ者、ただ畜生にことならず。近来京より仲蓮房という僧当宮に参りけるほどに、鳥羽の小家の前に、若女人打ち泣きて立たり。事の有榛、悲しみの色外にあまりて見えければ、立ち寄りて何事を歎きたまうにやといいければ、我母にてある者、今朝死にたるを、この身女人なり。また独人なれば送るべきに力非ず、小分の財宝もなければ、他人にあつらうべき様もなし。為す方なさの余りに、立ち出でたるばかりなりといいければ、げにも心の中糸惜しくて、たへ送りてまいらせんてと、内へ入りかい負いて捨けり。この女人の喜ぶ事なのめならず。さるほどえ仲蓮房思う様、慈悲の心をもて、不慮の汗穢に触つるこそ神鑑恐れあれ。さればとて今月の社参をかくべきも旡念なり。いかがすべきと案じけるが、とにかくしておずおず参りて、内廊はなお憚りありと思いて、外廊に通夜したりけるほどに、夢に宝殿の内より、黒衣の僧出させたまいて、瑞離のもとへ召しよせて、この女人余りに歎きてありつるに、かえすがえす神妙にとりて捨たり。我もかしこにありつるなりと示したまいけり。誠にもかようの不浄は、何とて御忌みあるべきぞ。一子の慈悲を垂ると霊詫にもあるなれば、人を憐むこれ清浄の心にて、汚穢の恐れあるべからず。およそ大菩薩の本地をいわば、妙覚果満にして、内証の月高く晴れ、垂跡をいわば、第二の宗廟として、慈悲雲遍く覆うがゆえに、細々の賞もなく、小々の過も遁るに有似り、譬えば老子経いわく、大方は隅なく、大音は希声、大白若辱、大直は屈するがごとく、大成は欠くるがごとく、大盈は沖するがごとし。小利を去らざれば、則ち大利を得ず。小忠を去らざれば、則ち大忠に至らず。ゆえに小利は大利の残なり、小忠は大忠の賎なりというが如し。現当の大利益を施したまわんと思しめすがゆえに、大事の前には小事旡きをや。なれども末社の眷属の小神は、その罰ことに厳重なり。ここを以て松童の明神の御詫宣に、大神は梢いかり、小神はしばしばいかるとあるぞかし。誉田の山陵をほらんとせし時は、御廟光たりしかば、盗人恐れてうせぬ。去る正月三日、また堀り奉るに、大地震動し、雷電陵の内より鳴り出て、近隣の郷々村々まで鳴りまわり、車軸の如く大雨くだりなんどせしかば、鋤鍬をすてて、前後にまどひて盗賊去ぬ。西大寺の社頭の神木をきりし下部等皆々重病をうけ、大略くるひ死にぞ死にける。奉行の僧も病悩身を責めければ、種々のおこたり申しける。御詫宣に広大慈悲の体なれば、吾は兎も角も思わねども、眷属の小神どもが怒るなり、旡力とぞ示したまいける。文暦年中に、神輿宿院までくだらせたまいたりしかば、武士ども多く守護し奉る。その下部一人酒に酔いて、若宮の御前の橘を、木に付ながらあうのきてくひ切りたりしかども、とがむる人も無かりしに、とどめき走りき。東の鳥居の下にて、倒れて軈て死にけり。その時は不思議多かりし中に、流星天より飛び下り、御輿の中へ入りたりき。大なる御鉾は、自然に北の門に立ちたりき。やさしき事のありしは、公卿天上人多く京より参り、高坊の堂上に着坐有しに、土御門前内府すこし遅参して、門の辺に立ずみて、君父庭にあり。則臣子堂にをらずといへる本文は、御存知有にやと有しかば、堂上の人々皆いそぎをり給しこそ、時に取て才学いみじかりし事なれ。また弘安の神輿入洛の時、あしく奉行したりし武士は、その夜の中ににわかに死え失て、放ち禦ぎ奉し者は、不慮に所帯を失て、有に旡甲斐成にけり。正き神敵は配所に趣きつかずして死失す。かの住所今に荒野にて、その跡に人なし。建治年中に四月三日の日使に当りし者、山門に身を入て難渋しけるが、終にまけて日使つとめたりしかども、神事違例の科難遁かりしかば、ほどなく一家悉く病死て、その跡荒畠となり。財宝は他人の物とぞ成にける。また安居頭役の料とて、納をきたりける銭貸を盗人入て取けるが、身すくみて銭をとらへてはたらかず、主人社頭より下向して、見付てとらへたりけり、又淀の住人のありしが、大徳人なりしが、安居の頭に当りければ、親疎のとぶらいその数多かりしを、皆も入らず。まして我物は一塵の煩無りければ、神事おろそかに勤めたる科にて、物狂に成て、貧窮第一になるとぞ申ける。それ不浄というは、婬欲肉食触穢のみにあらず。心の不信なるをいうなり。かようの冥罰も、眷属の小神の御所行にて、厳重の事あるにや。たとい疋手を運び財宝の施を備うとも矯慢名聞の為ならんには、さらに御納受あるべからず。御詫宣に、吾銅焔を飯とし食すとも意けがらわしき人の物をば受けず。銅焔を座とすとも心穢れたる人の所に到らず。おのが愚意に任せて旡道悪事を好む者を、不浄穢心という也。諸悪を造らず、修善常に行じて、自浄身意、神吾教う文なりと告げたまえへば、七仏道戒の心に相違せず。断悪修善し神盧にかない清浄の人と成るべし。外相よりは内心による事、まぢかき現証あり。

鳥羽より二人の男月詣をしけるが、ある時つれて参社したりしに、橘の三なりの枝一人が前に落たりければ、喜びて懐中す。今一人の男羨しともいうばかりなし。下向通にていうよう、日来同道してこそ参りつれ。利生を蒙らんに差別あるべからず。その橘せめて一を我に与えよというに、かつて以てかなうべからずと、堅く惜しければ、力なくしてここなる所へ入りたまえとて、具して行きて種々の酒を盛り、心をとりすまして、その橘実にはくれずとも、ただくるるとおおせられよと頻にいいければ、安きことなり、皆参すという。この男祝い籠りたりとて、酒三度のみて懐中する様にもてなしけり。橘もちたる男は、日来にかわらず、橘も取らざりしかども、たまわりたる様に振る舞し男は、不慮に大徳つきて、身に余る程の富貴になりけり。これすなわち物にはよらず、心による信ならずや。

また淀の住人あり。世間合期せざりけるを、測らざるに安居頭にさされたりければ、身にはかなうまじき事なれども神の御計らいにこそ有らめとて、すべていたまず、夫妻共に精進して、参宮の祈り講じけるほどに、宝殿の内より大なる百足はひかかりければ、これ福の種なりと仰て、袖につつみて宿所にかへり、深く崇め祝けり。誠の神恩にて有けるにや。所々より大名ども来て、問丸となりける程に、多徳つきて、安居勤仕するのみなあらず。当時まで淀第一の徳人なり。これは心も誠あり、物をも賎くせねば、内外相応の利生なり。また八幡の御巻数なりとて持て行たりけるを、布施なんど与ん事をや、うるさく思ひけん。去事旡とてをい返しけるを、隣の家主これを見て、よび入りて、その巻数我に与えよといいければ、安きことなりとて置きければ、種々にもてなし祝けり。その夜、この家主夢に見る様、百鬼夜行とをぼしくて、異類い形の輩、我家の中へ入んとしけるが、やら八幡の御巻数の有けるよとて、各々馬よりおりて礼拝をいたして、立ち帰りて、御巻数ををいかへしたりける隣の宿所に入ぬと見て、ひへ汗たりて驚きぬ。その朝より彼家内に、上下一人も残らず、悪き病を受て死に失にけり。巻数と申すは、その人の為にとて、祈したる経等の数を書てやるなれば、今請取たる人の為には、一分も廻向せざりし祈也といえども、信心に引れて、本の願主には祈とならず、今の家主が災難を禦ぎしも、不信を不浄といひ、信心を清浄とするにあらずや。