「八幡愚童訓乙本 名号御事」

「南無八幡大菩薩」という名号は、中世には盛んに唱えられたものの、神仏分離以後はあまり言われなくなったようである。

『八幡愚童訓乙本』の中に、「名号御事」として「南無八幡大菩薩」と唱える功徳について説明した箇所があり、タイピングしてみた。

中世においては、後生のことは南無阿弥陀仏、現世のことは南無八幡大菩薩と称えて、現当二世の安楽を願う信仰が流行っていたようである。

(原文はカタカナのをひらがなに変え、若干の漢字を読みやすく送り仮名を付けたりひらがなに直している。)

 

 

 

 

「八幡愚童訓乙本」

 

 名号御事。

 

右八幡の御名は、人倫の詞よりも出でずして、まさしく御詫宣に、西拘屋(※シルクロード西方の地域、拘弥とも。)に八幡国という国あり。その所に我菩薩にてありしによりて、また母堂とうの君の八人の王子を産みたまいし時、足八ある幡に化して見へ玉へり。それによりていうぞとあり。

次に開成皇子には、「得道来不動法性、示八正道垂権跡、皆得解脱苦衆生、故号八幡大菩薩」と告げたまへり。已に八幡は、八正の幡を立て、我見の邪執をなびかし、生死の怨敵をとゝのへたまふしるしなり。

また、我無量劫より已来、難度の衆生を教化す。未度の衆生、法末の中にあり。かくのごときの衆生を教化せんが為に、大菩薩と示現す。我はこれまた自在王菩薩なり。大明神には非ず即大明神の号を改て、大菩薩というなりと告げたまふ。

故に当宮は、自余の神明に同じからず。故に謂誓定取、无上菩提、窮未来際、利楽有情というが如く、大悲闡提の善巧方便をさきとして、常於三世、不壊化身、利楽有情、旡時暫息の神慮なり。

今この八幡大井(※「井」一文字で大菩薩と読む)の御名について、人法喩の三あり。八幡の八は即八正道、八正道は法なり。幡即ち喩なり。大井は即ち人なり。この人法喩は、また種三尊の妙体なり。しかればすなわち、法の所に三学あり。三学は八万四千の法門文字、一々の字体、三十諸仏の種子に非ざるはなし。喩は三摩耶形なり。三摩耶形は平等本誓、除障驚覚の義、剣輪蓮宝等の表示に同じ。人は尊形なり。尊形は白性受用反化等流の身体にわたる。三とみれば差別なれども。仏なり、井なり、法なりとえつれば、南無八幡大菩薩と、一音をあげん所に三世の仏身、一代の教法、済生の本誓残事なく具足して、旡量無辺の功徳あり。

されば御詫宣に、神吾社の宮人氏人等末代に及で何物を珍宝とすべき、すべて宝と思べき物なし。閑に思惟せよ。崑崙山の珍玉も、みがゝざれば珍にあらず。蓬来の良薬も、なめざれば旡益なり。只垂跡大神吾を財宝と思すべきなり。一念も我名号を唱へん者、あへてむなしき事なきなり。現世には思に随って無量の財宝を施与し、後世には善所に生じて勝妙の楽を受くべきなりと有ぞかし。元始曠劫の間、大菩薩の御名をきゝ奉らざりし故に、世々に財宝をえず。生々に苦悩にあへり。今社壇にまいり、名号を唱え奉る上は、現当の願ひ必ずとげぬべし。

 

近来洛陽に一人の女房ありけり。二三日煩て死けり。中有のやみに迷て、悲の余り、南無八幡大菩薩、たとひ定業なりとも、願は今一度娑婆にかへしたまへと祈請し奉るに、たちまち一人の僧出来て、汝大菩薩を称念しまいらする故に、人間にかへりて二十年の命を延べしとありし時の歓喜幾程ぞや。死にて後三ヶ日をへてよみがへりぬ。平生の時常に心にかけまいらせずば、いかでか黄泉の旅にて大菩薩を唱え奉らん。たとひいかに名号を唱い申すとも、名号に旡量の徳用を備えずは、命尽てまた娑婆に帰るべきや。これすなわち名号に功能多く、吾神の感応すみやかなるがいたすところなり。本地の名号も、神慮に叶てその験明らかなり。

 

中昔、高野の蓮華谷に、西方浄土の行者あり。夢に一人の高僧来て日く、浄土に往生せんと思ば、木槵子の数珠を以て、八幡の高楼にて百万返を唱べしとありければ、時刻をめぐらさず、参詣して申したりしかば、臨終正念にして瑞相を現じ、無類来迎にあづかれり。当世はこの行殊に繁昌して、往生極楽の望みをとぐぞと申しける。

 

また、ある貴人、濁世の衆生、如法如説の修行はかないがたし、弥陀起世の大願業力に乗して、名号を唱て往生を期せんとすんば、異体の弥陀経に、一心不乱専称名号と説き、善導和尚は、七日七夜心無間と釈したまへり。称讃浄土経には、念をかけて不乱といえり。凡夫愚暗の身、妄念をこりやすし。散乱の称名は、決定往生の業ならずば、我等いかでか出離の望をとげんやと、歎て祈請せらんけるに、御示現に、不論不浄、不論心乱、但念弥陀、即得往生とありしかば、散乱の念仏にても、往生すべしとうれしけれとも、経釈にあはずして、他人可返唇を故に、不信の事も出来すべしと恐あるところに、華厳経に、「若人散乱心念弥陀名、臨終住正念、往生安楽国」とある文をみてこそ、御示現にあいかはらざりけりと、いよいよ信心催して、その疑いは晴れにけり。

 

巡拝記いわく、散乱の念仏は、まさしき往生の行業にてはあらねども、常に練習するが故に、臨終正念に成りて、往生する事を得といえり。善悪ともに平生馴たる事の臨終に顕るゝなり。御示現の心少しも華厳経の文に違わず。ゆえに阿弥陀経の一心不乱と説くは、当時の行をあかすなり。御示現に不論散乱とあるは、終の落つきを思しめすなり。余の浄土を捨て、西方浄土を欣ぶを一心と名づけ、余行をやめて一向に念仏を唱うを不乱というなり。口には名号を唱えて、心を仏にかくるを一心不乱という。余念妄念旡からんこと、末代の人ありがたきゆえにといへり。

 

また、八幡社僧親尊法印と申すは、仁治二年のころ、天王寺にて善恵房説法を聴聞するに、念仏の三心は行者のをこすには非ずといはれけり。日来行者のをこすと心得たりつるに、この事如何すべきとて、当社に参て祈請するに、法印を玉籬の本へ召寄て、御示現に曰く、

「極楽へゆかんと思ふ心にて南無阿弥陀仏といふぞ三心」

とこそ告げたまひしか。所詮本地垂跡付て、名号を唱へて、世間出世の所望を満足すべき者なり。

巡拝記いわく、三心は行者のをこすと判じたまへり。もとより所請の本意は、至誠心即三心なりとことわり御座す。仏宗の行者この示現を信ずべし。本地と垂跡と相離れずといえども、望む方に親跡あり。往生を期するには、本地の名号は親く、現世の事を申すには。垂跡の名号したしき者をや。