八幡愚童訓乙本 正直事

正直事。

 

右、大菩薩、已に八正道より権迹をたれたまえば、群類の謟曲を除かんと思しめすゆえに、御詫宣に、神吾れ正道を崇め行わんと思うは、国家安寧のゆえなりとある。誠にも非法を旨とし、正道を捨つる時は、その国必滅亡する事なれば、邪をすて正に帰よとなり。生死の稠林には、直木は出やすく、曲る木は出る事なし。現当の為に正直を専らにすべきものなり。武内の大明神の、昔大臣として応神天皇に仕えたまう時、舎弟の甘美内宿祢、旡実の讒奏を以て、已に武内誅せられんとせし時、両方かたく相論ありしかば、銅の湯に各手を入れて、損ぜざるを旡実とすべしと勅宣ありしに、武内の御手は水にりたるが如し。甘美内の手はししむら皆落ちにけり。されば武内は旡実の罪を受くるをば、因位を思しめし出でて、なこそ憐み給ふらめ。和気清丸は、勅使として道鏡が事大菩薩に申されし時、ありのままに御返事を申したりとて、両足をきられしも、御殿の内より五色の蛇出てねぶり、元のごとくなりしも、正直をあはれみたまうゆえなり。

その時の御歌にいわく、「ありきつつ 来つつ見れども いさぎよき 人の心を 我忘めや」とありしこそ、旡類世のためしなれ。

 巡拝記いわく、応神天皇の御宇九年夏四月に、武内宿祢を筑紫に下して、百姓を見せしむる時に、武内の弟甘美内宿祢、兄の職をこころざして、天皇に讒言していわく、武内宿祢王位を望む心あり、新羅・高麗・百済をかたらい、都をせめんとす。天皇これを聞こしめして、則軍兵を差進して、武内を討たしめんとす。この事鎮西にきこえて、武内歎きていわく、吾もとより二心なく、君に仕うるを以て事とす。何ぞ旡罪うたるべきや。ここにかの国に真根子というものあり。年たけてかおだち武内に似たり。かの翁来たりて武内に申さく、今大臣とがなきにうたれたまわんとす。君の清き心を明らめんと思う。しかるに人皆君の姿にたがわずといえり。我代って剣に当りて死せんと思うなり。早くちかふて都に登りて、開き申したまえという。武内大いに悦びたまいて、南海をめぐり紀の湊に至る。軍兵鎮西に至りて、真根子を見て武内と思うて、頭を取りて上る。その後武内参じて、天皇にすごさぬ由を申すに、天皇甘美内を召して、武内に対せしむ。二人御前にて堅く論じ争うに、是非定めがたし。天皇勅して、銅の湯を沸して、神祇に祈りて、手を中に入れよ、とがなからん者は、その手損ずる事旡からん。ここに甘美内の手を入れしに、肉皆落ちて骨ばかりに成り、武内の手は水に差し入れたるが如く損ぜず。武内大臣太刀を取りて、甘美内を打て顛して害せんとす。帝こいゆるさせたまいぬ。

増源といいし僧の御示現に、もし人心正直ならば、我身入ると心中に告げたまう。ある祠官の随分正直にして、神慮に叶うらんと見えしが、猛悪不実の傍輩に超越せられて、所職を退き、恨み深かりしに、御示現に、かの敵人は、天王寺にて四種の大供養をとげたりし福業を果たすなりとみて、後は歎きのやみぞ晴れにけり。たとい今生にいかに悪とも、前世の福因あらば、今生はさかえ、来世には苦患を受くべし。今世に正直憲法なれども、福報なきは前生の悪業遁れぬゆえなり。今生によき人の思いの如くなくとも当来には必ずいみじかるべし。毘尼母論高、破戒にして施を受くれば、必ず感現報に、腹すなわち破裂けて、袈裟身を離れ、あるいはこの相旡くんば、為めの生報有らんがゆえなりといえるが如く、猛悪不実の人は、現世に神罰をあたりぬれば、来世の為なかなか罪をつぐのいて受くべし。極重罪の輩は、仏神の加護に離れはてて、その罰だにも旡ければ、来世の悪道にあるべしと。よくよく恐れ慎しむべし。前世の福因なくて、今生貧しき者、また過去の福業によりて、よき人の悪しき振舞いすれどもとがなきを見て、悪しき事するは、鵜をまなぶ烏の水に沈むが如し。目蓮尊者の外道にうたれて死し、迦留陀夷の壇越に首をきられし。四果の聖者の癩病をいたみ、三界の独尊の頭風を苦しみたまうこと、酬因感果のことわり、まのあたりのがれ難きがゆえなり。およそ御詫宣に、正直の人の頭をすみかとす、謟曲の人をばうけずとあれば、心正直なるによりて、大菩薩その頭にやどりたまうならば、天魔悪鬼は恐れをなし、七珍万宝はおのずからいたりなん。二世の所願は一心の正直にあり。