受戒御事。
右滅罪生善のはかりごと、正法久住の徳、出家受戒による故、たとひ宝塔を起て、忉利天に至るも、また出家・受戒の功徳に劣り、戒はこれ旡上菩薩の本と。もし大利を求まば、まさに戒を堅持すべしといへり。このゆえに、大菩薩も御許山の石体の坤にあたり、三四町を去りて、御出家ありしかば、御出家の峰と名付けたり。宝亀八年五月十八日御詫宣に、明日辰時に沙門となりて、三帰五戒を受くべし。自今以後、殺生を禁断すべし。ただし国家のため、巨害の輩出来の時は、この限りにあらずと告げたまえるは、大菩薩本地妙覚果満の如来にましませば、事あたらしく御出家受戒の告げあるべからず、神通自在をえたまえど、出家受戒して仏道を修行したまえば、まして凡夫いかでか破戒旡慙にてあるべきと、はげましたまうゆえなり。
しかれども、なお深重の利益を施したまはんとて、国家の敵はその限りにあらずと、御詞を残したまえり。それ戒を受くるに、その時はたもだしなんと、誓いには得戒する事なしといえども、この御誓願は情見の上にあらねば、疑をなす事なかるべし。御詫宣に、神吾れ国家並びに一切衆生、利益の意ふかきに依りて、蛇心をこるなり。蛇心に変じ起しゆえは、衆生の心をとらかして、戒道に入れ、更に悪道に行しめずして引導せんがためなり。またいわく、末代に及んで、仏法威衰ろへ、邪法さかりにして、父母に孝順する人なく、国王非法ならんその時の人のために、神道と現ずるなりとは、神道としてその罰あらたなるには、悪業を好む人も、不孝の輩も、神罰をはばかるゆえに、不孝非法のためとあるこそ、末代我らが恐るべきことなれ。非法を反さば正法となり、不孝をあらためば孝順となるべし。孝はまた戒なり。戒の名を制止とす。ゆえに神道と現じて、非法不孝を制断せんとの冥慮なり。
御出家の峰を、十四五町去りて、正覚寺と号するは、大菩薩この所にて正覚なりたまえるゆえなり。出家受戒の上に、諸善の功徳を生じて、正覚なるべき由を示したまうものなり。この山には、大菩薩、摩訶陀国の椙の種をとらせたまいて、栽えたまいけるとて、九本の大杉あり。御袈裟を掛けさせたまいたりけるとて、袈裟の跡、杉の木に見たり。あるいは、御沓、御利刀を残され、あるいは御硯をとどめたまいたりとて、今は皆岩と成りたれど、その姿はかわらず、御硯の石の中に穴あり。穴の中水たまる。いかなる旱魃にも、この水ひる事はなかりしに、文永の蒙古襲来の刻、この水かはきたりけり。凶徒退散して、元の如く水満ちたりとぞ申しける。神慮いかなる事ならん。覚束なくぞ覚えける。正像末の三の鉢、正像の鉢は石となりて水もなし。末法の鉢には水の滴りうるをへるとぞ見えたりける。一丈余の大磐石、中比二つに破れて、その中に阿弥陀の三尊おわしけり。これ只事にあらず。大菩薩の御本地のあらわれたまうにこそとて、石体権現の御前に安置し奉れり。かくのごとくの不思議多かりけり。弘法大師いわく、それ発心して、遠渉するには、非足不能趣向仏道、非戒寧到哉心須、顕密の二戒堅固に受持し、加えて眼命を謹み、身命を弁え犯すことなかれ。天台大師いわく、諸趣の昇沈は、依戒の持毀にと釈したまえば、戒をたもたずして、生死の苦域を出る事あるべからずという心をえて、西大寺の興正菩薩、我朝に律儀のすたれたる事を歎きて、三聚浄戒を自誓得戒して、七衆の師範となり、比丘の法を興行せられしに、様々同心の輩十余人出で来るといえども、僧食の沙汰に及ばず、身命を三宝に任せて、大悲闡提の利益を専らにしたまうほどに、ある夜少真睡たる夢に、男一人袋に米を入り持ち来て、前々は僧すくなくして、時料はこぶもやすかりしが、今は僧の数まさつて、食運ぶに余りに苦しきなり。ただし僧をいとふ事なかれ、食をばいか程も運ばずべしと申しければ、いづくよりぞと問わるるに、八幡よりなりとて去りたまう。戒法の流布は、神慮に叶い、御納受ありける宇礼志さよとて、被寺の鎮守には、大菩薩を祝ひ奉る。擁護あさからずましますゆえなれば、僧徒多しといえども、一項の田も作らず、一枝の桑もとらねども、飢寒に餓死する者一人もなき事、大菩薩の食物を運ばしたまうゆえなり。また八幡境内へ、律院を興隆せんと願をたてられしによりて、大乗院を点て戒法をひろめ、日夜朝暮に法味を備へ奉がゆえに、ある祠官の夢に、毎日にこの寺に御幸ありとぞ見たりける。
また御詫宣に、真言灑水をもて、道場をきよむるを、和光の栖とするなりとあるを以て思うに、水はこれ清冷生長の徳あり、清冷のゆえに煩悩の熱毒を除く断悪なり。生長のゆえに菩薩の花菓を開く修善なり。道塲は社壇の地なり。戒はこれ仏法の大地なり。この大地は衆生の心地なり。されば断悪修善の戒水を、真言不思議の加持を以て、我らが心地にそそぎて、不浄きよまらん所に、和光を写したまうべし。それ仏法には戒を最初とし、真言を究極とす。治浄先々、引発後々のいはれによりて、戒を持ちて真言を修め、初後円浄なる心水に、大菩薩かけりたまうべしと信じて、持戒いよいよ堅にして、秘密修行おこたらざるべきをや。されば興正菩薩戒を専らにし、真言を内証としたまいせしかば、信に神慮に叶い、冥見に透りて、五代の帝王御受戒の師範とし、道俗男女五八具の戒を受くる事数万人に及びき。受職灌頂の弟子も多し。当社大法会の時は、上皇御殿を去り、庭上に向いたまいしかば、卿上雲客は首を地に付け、恭敬の気色ふかかりき。和漢の国主師を貴ぶ例有りといえども、加様の事はためし少し。三界の諸天はその足を戴き、四種の輪王ははきものを取るに足らずと、出家受戒の人をほめられたるこそ眼前なれと、見聞の輩随喜の泪を流しけり。上皇礼をいたしたまうこと、大菩薩の宝前にてもありし事は、我神の擁護によりて、戒徳いみじき様を示し給ふにあらずや。在世の面目のみにあらず。菩薩の号を古墳の苔の上におくられ、遠忌の仏事には院宮を始まいらせ、竜蹄御剣をたまい、種種の珍宝を送られ、門徒日々に繁昌して、本寺に数百人居住し、散在の五衆は六十余州に満ちみちて、幾千万という事を知らず。我朝の戒行、前代もかようの事なし。ただこれ大菩薩の御方便なるによりて、濁世なりといえども、持戒の僧尼おおきこと、仏法の恵命をつぎ、国家の福田たり。早禁戒受持して、常爾一心、念除諸益のゆえに、生死の魔軍を摧き、菩薩の彼岸に至るべし。剃髪染衣をのみ持戒というにあらず。接末帰本するは、一心を本とし、一心の性は、仏と異なることなし。この心に住み、即ちこれ仏道を修行すと。この宝に乗して、垂に直に至ると。道場にあれば、外には三業の悪を禁じ、内には三密の観を凝らして、一体三宝を信じ、六和具足を思いて、即事而真の道をあらわすべし。弘法大師いわく、不作悪業当是可仏を然し造るなる、悪業をなすは迷の衆生と釈したまえば、断悪修善これ仏法の大綱、御神の納受しまします所なり。