メモ 華厳経

「一の中に無量を解(さと)り、無量の中に一を解(さと)り、展転して生じて実に非ざるの智は畏るるところなきなり」
(一中解無量、無量中解一、展転生非実、智者無所畏)

「一のうちに無量をさとり、無量のうちに一をさとり、一と無量とたがいに生起するさまを見るならば、その人は畏るるところのない人になるだろう。」

華厳経 如来光明覚品)


「自分はまさに一切衆生の中において首者となり、勝者となり、殊勝者となり、妙者となり、微妙者となり、上者となり、無上者となり、乃至、一切衆生の依止者となろう。」
華厳経 十地品)




「願わくば、この善根をもって広大無礙のあらゆる境界を修習し、成就し、増長することを得よう。
願わくば、この善根をもって、仏の正教の中において乃至一句一偈をも聴聞し、受持して、演説することを得よう。
願わくば、この善根をもって、法界と等しい無量無辺のあらゆる世界の三世一切の諸仏を憶念することをえ、すでに憶念しおわって、菩薩の行を修めよう。
また、願わくば、この念仏の善根をもって、一人の衆生のために、全未来劫において菩薩の行を修めよう。
一世界におけるが如く、全法界・全虚空界のあらゆる世界にもまた同様にしよう。
一人の衆生のためにする如く、一切衆生のためにもまた同様にしよう。
願わくば、この善根をもって、一切衆生のために大荘厳をもってみずから荘厳し、仏と善知識とを離るる想いを起すまい。」
華厳経 金剛幡菩薩回向品 江部鴨村『口語全訳 華厳経』上巻892頁)



如来のあらゆる清浄の智慧を、願わくば一切衆生をして皆具足せしめ、なおまことの仏子の普賢のごとく、あらゆる功徳をもって自ら荘厳しよう。
広大の神通力を成就し、世界に遊歴してことごとく行き渡り、一切衆生をしてあますことなく、みな菩薩の道を修行せしめよう。
諸仏如来の開悟したまうところを、十方無量のもろもろの衆生をして、一切みな普賢菩薩のように、最上の行として具足し修行せしめよう。
諸仏・諸菩薩の成就したまうところのもろもろの功徳は、種々の差別があって辺際がないけれど、願わくば衆生をしてことごとく円満せしめよう。」
華厳経 金剛幡菩薩回向品 928頁)


「願わくば、過去・未来および現在の、あらゆる一切もろもろの善根をもって、我をして常に普賢の行を修めて、すみやかに普賢の行に安住することを得しめたい。」
華厳経 金剛幡菩薩回向品 931頁)


「仏子よ、十地は実にあらゆる仏法の根本であって、菩薩が具足してこの十地を行ずるならば、よく一切の智慧を得るだろう。」
(十地品 943頁)



「もろもろの仏子よ、この心は大悲を首とする。智慧増上の方便にまもられ、直心・深心至淳であってその量仏力に等しく、よく衆生力と仏力とを決定して無礙智に趣向し、自然智に随順してよくあらゆる仏法を受け入れ、智慧をもって教化し、広大なること法界のごとく、徹底せること虚空のようで、よく未来の限りを尽くす。」
(十地品 歓喜地 952頁)


「このもろもろの衆生を自分はかならず救護して、究竟の安楽処に導かずにおかないだろう。」
(十地品 963頁)


「つねに慈悲心を行じ、つねに信あって恭敬し、慚愧の功徳そなわり、昼夜に善法を増し、功徳の実利を求めて、もろもろの欲を楽(ねが)わない。」
(十地品 971頁)



十種の直心
柔軟心、調和心、堪受心、不放逸心、寂滅心、直心、不雑心、無貪心、勝心、大心
(十地品 離垢地 976頁)


「一切衆生の悪道に堕する者は、みな十不善業の道による。
自分はみずから善法に住しよう。
しかしてまた、人のためにもろもろの善法を説いて、正行のところを開示しよう。
なぜなら、自分自身が善を行ずることができなくて、他人のために法を説いて善を行じさせることのできるわけがないからである。」
(十地品 離垢地 978頁)


「げに聞法こそは、あらゆる仏法の本である。」
(一切仏法以何為本不離聞法為本)
(十地品 離垢地 994頁)



「一切求法転加精勤日夜聴受無有厭足、 喜法、愛法、依法、順法、満法、弁法、究竟法、帰法、救法、隨順行法」
(十地品 発光地)


「如説の修行によってのみ仏法は得られる。言説だけでそれの得られる訳はない。」
(十地品 発光地 996頁)


「この菩薩は忍辱の心・柔和の心・調順の心・悦美の心・不瞋の心・不動の心・不濁の心・高下の無い心・報を期待しない心・恩に報ゆる心・不諂の心・不誑の心・素直な心をより一層純粋なものにする。この菩薩は四摂の中では利行を主とし、六波羅蜜の中では忍辱波羅蜜を宗とする。」
(十地品 発光地 999頁)



「彼らは貧窮にして福慧なく、つねに三毒の猛煙に焼かれ、しかも孤独無依にして救護者なく、地獄のうちに堕在して、無量に痛苦に虐げられる。
放逸なる凡夫人は、もろもろの煩悩の海に沈み、眼つぶれて見るところなく、諸仏の法宝を喪失し、
つねに生死の流れにしたがい、かえって涅槃の楽(ねが)うべきを怖れる。自分は精勤して彼らを度脱せしめよう。
(十地品 発光地 1002頁)


「いかなる方便をもって救済すべきであろうか?
ただ如来の深妙なる無礙智をもってするほかない。
この智は何から生ずるか?
無行の行慧から生ずる。
しかして思惟は智慧の本であって、思惟は多聞から起こる。」
(十地品 発光地 1002頁)



十種平等心
過去の仏法に対する平等にして清浄な心、未来の仏法に対する平等にして清浄な心、現在の仏法に対する平等にして清浄な心、戒に対する平等にして清浄な心、心に対する平等にして清浄な心、見・疑悔を除滅する平等にして清浄な心、道と非道との智における平等にして清浄な心、修行・智見における平等にして清浄な心、一切の菩提分の法をうたた勝れて観察する平等にして清浄な心、一切衆生を教化する清浄にして平等な心。
(十地品 難勝地)


「このような苦悩孤独の衆生には救う者もなく、宿す者もなく、究竟して導く者もない。
ただ自分一人のみが、等侶を超えて福慧を修習し、その資糧をもってこの衆生をして畢竟して清浄ならしめ、乃至、如来の十力無礙の智慧を獲得せしめよう。」
(十地品 難勝地 1021頁)


「実のごとく第一義諦を了知せざるを無明と名づける。無明は業をおこす。」
(十地品 現前地 1035頁)


「無明に随順すれば、すなわちもろもろの世間がおこる。もし随順しなければ、すなわち一切の世間を断つ。」
(十地品 現前地 1046頁)




十種の方便慧
一、 よく空・無相・無願の三昧を修すといえどもしかも慈悲をもって衆生を捨てない。
二、 諸仏の平等の法を得るといえどもしかも楽(ねが)ってつねに仏を供養する。
三、 観空の智門に入るといえどもしかも勤めて福徳を集める。
四、 三界を遠離するといえどもしかも三界を荘厳する。
五、 畢竟してもろもろの煩悩の炎を寂滅すといえどもしかもよく一切衆生のために貪・瞋・痴の焔を起滅する。
六、 諸法は幻のごとく、夢のごとく、響のごとく、焔のごとく、化のごとく、水中の月のごとく、鏡中の像のごとく、自性の無二なることを知るといえども、しかも心の作業にしたがって無量に分別する。
七、 あらゆる国土はあたかも虚空のごとしと知るといえども、しかもよく清浄の妙行をもって仏土を荘厳する。
八、 諸仏の法身は本性の無身なることを知るといえども、しかも相好をもってその身を荘厳する。
九、 諸仏の音響は性空・寂滅であって言説することができないと知るといえども、しかもよく一切衆生にしたがって種々差別の清浄の音響を出だす。
十、 諸仏に随順して三世はただこれ一念であることを承知すといえども、しかも衆生の意解・分別にしたがって種々の相・種々の時・種々の劫数をもって所業を修める。
(十地品 遠行地 1052頁)



「仏子よ、たとえば人が船に乗って大海を渡ろうとする場合、船がいまだ海に出ないうちは、多くの努力を要するけれど、一たん船が海に出てしまえば、風に任せておのずから進行し、しかもその速度は前のそれに百倍・千倍する。仏子よ、菩薩摩訶薩もまたかくのごとく、広大の善根を積集し、大乗の船に乗って菩薩の行海を行くに際し、今は無功用の智をもって、よく一念のあいだに一切種智に達することが出来るのであって、従来の功用の行は一劫もしくは百千劫を以てしても、今のそれに及ぶことが出来ないのである。」
(十地品 不動地 1074頁)


「この菩薩は実の如く衆生心の難・煩悩の難・業の難・根の難・解の難・性の難・楽欲の難・随眠の難・受生の難・習気相続の難・三聚差別の難を知る。」
(十地品 善慧地 1092頁)


メモ2
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20120408/1333858347