手島佑郎『ユダヤ教の霊性 ハシディズムのこころ』を読んで

手島佑郎『ユダヤ教霊性 ハシディズムのこころ』を読み終わった。
とても興味深く、良い本だった。


ハシディズムとは18世紀に起こったユダヤ神秘主義だということぐらいは知っていたが、その詳しい内容はどうも今までよくわからなかったので、本書を通してその概要を知ることができて良かった。


神は常に自分やこの世界を包んでおり、重要なことは神に意識を集中させることで、しかもその瞑想は何も難しいことはなく、職業を持つ普通の人でも可能で、YHVHの神の御名に意識を集中するだけで良い、とハシディズムは唱え、当時のユダヤの貧しい庶民たちに強く支持されたそうである。


私が読んでいて興味深かったのは、「修復」(ティクン)という考え方だった。
ハシディズムでは善も悪も神から発するもので、人間の雑念や欲望も神に本来は発しているが、雑念や悪はそのままでは不純であり、これを本来は神に発する清いものに昇華させる必要があると考えるそうである。
つまり、悪や欲望を否定するわけではなく、かといってそのまま肯定するわけではなく、昇華することによって、悪によって欠陥が生じているこの世界を「修復」するそうで、それが人間の生きている意味だそうである。


また、流浪(言葉のとおりユダヤ人にとっては現実のディアスポラであり、また神から離れた霊的状態も指す)は本来は人間の罪によって生じた状態であるものの、これもまた世界を修復し、己自身が神と再びつながるために積極的に意義を持ったものととらえられていたそうである。
また、メシアの到来は、すでに個々人が贖われて世界が修復されて準備ができたのちに到来すると考えたそうで、そのために普遍的な贖いの前の個人の贖いを重視したそうである。


ハシディズムが、キリスト教とはまた違った、豊かな深い精神の水脈であることが、本書のおかげでよくわかった。
ヨーロッパの思想史を見ていると、キリスト教ギリシャ哲学の影響だけではよくわからない部分があるが、そういったところはやはりユダヤの影響が大きいと思われるし、最も深く、かつ人間の存在に意味を指し示すものだったのかもなぁとも読みながら思えた。


なお、本書では主にハシディズムと禅宗が比較されていたが、一般庶民に広まったことや、神の御名への意識の集中ということでは、善導や法然浄土教と比較することも面白いのではないかと思えた。