思考メモ 神と自然法則と自由意志

聖書における神を、もしまとめるならば、自然法則と自由意志を尊重し不介入の立場をとるが、人間と対話し、共に存在する神、ということになるのだと思う。

したがって、人間において大切なことは、自然法則を緻密に観察して予測を立てることと、自由意志を正しく用い、啓示や理性によって明らかにされた道徳や律法に合致することを選んで生きることなのだと思う。
そして、何よりも大切なことは、そのつど、神と対話すること、つまり聖書を読み、学ぶこと、ということになるのだと思う。

それがユダヤ教であり、あるいはキリスト教だと言えるのだと思う。

仏教においても、自然法則も人間の道徳や心も、どちらも因果の道理で一貫した法則のもとにあると考える。
したがって、自然法則を緻密に観察し予測し、自由意志を正しく用いて善心所を育て、悪を避けて善を選ぶことが、同様に重視されるし、仏典を読み、そのつど仏典と対話することが大事ということになるのだと思う。

神と自然法則と自由意志とは、お互いに矛盾するものではなく、相反するものではなく、自然法則の認識において人はよく神と調和し自由意志を正しく用いることができるし、自由意志は神の意志や自然法則の認識やそれと合致した選択において真に生かされ、神は自然法則と人の自由意志の存在を選び尊重している、ということなのだと思う。

人によっては、そんなことは当たり前だと思うかもしれないが、私にとっては、これはそれなりの思惟や試行錯誤を経なければ、なかなかわからないことだった。

今もって、本当にわかったかは心もとない。

しかし、このように考えると、だいぶさまざまな謎や疑問が解ける気もする。

もっとも、それは一歩目に過ぎず、具体的な問題や謎は、ここからが始まりなのであるが。